2022-01-01から1年間の記事一覧
見え透いた悪意の塊のようだったポン・ジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』の中でもひと際冷笑的で、露悪的だったシーンと言えば、妻を愛しているかと訊かれたIT社長の男が、半地下暮らしの男が運転する高級車の後部座席で浮かべた醜い微笑だろう…
アメリカで黒人として生まれることについての、映画である。勝手に副題をつけていいなら「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」にするだろう。ブルースが歌ったものとはだいぶ異なるが、ここにもアメリカの飢えきった心があり、アメリカに生まれることの耐え難い苦難…
誰かが映画化したらいいのに、とまず思った。というか、誰もやらないなら俺がやるで、と慣れない大阪弁で思った。まあ、すでに想像の中ではほぼ撮り終えているのだが。謎のウイルスで人類が滅び、世界が終わったあとの世界を、大量の缶詰を抱えながら歩く少…
誰もが「死体探し」の青春モノとして記憶に留めるロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』を分かりやすく、どこかシニカルに引用しながら、「Boyz」たちの青春が幕を開ける。人が死ぬことがまったく珍しくない地域で、少年たちは遭遇した死体をどう見…
読み終えたあとにじんわりと滲み出る、この気持ちを安易に感動と呼んではいけないような気がする。もっと本当の、もっと温かい、別の呼び方をしてあげたいなと思う。でもそれが何なのかが分からない。意図的に「文学者としての岸政彦」は遠ざけてきたはずな…
警官に喉を押さえつけられ、意味もなく死亡した黒人男性たち。彼らは最後、「息ができない」と苦しみながら息絶えたという。SNSでBLM運動が盛り上がろうと、下火になろうと、評価・検証すべき「歴史」になろうと、そうした犠牲者は耐えることがない。 …
時代の後知恵とはいえ、本書に関しては、ジェンダー、もしくはレイシズムの観点からいくら値引きすべきかという問題がまずあるだろう。 例えば、エディ・マーフィの個性を評するのに「白人には見られない底抜けの明るさ」などという表現では個人の資質をあま…
相当、アイロニカルな本だ。白人のインテリ二人組による、ヒップホップ・シーンに関するルポというかエッセイなのだが、新しい文化の只中にいる興奮よりも、白人であることの後ろめたさが勝っている。 本書の原著が出た1990年当時、いまだ現在進行形の「現象…
別のタイトルを付けるなら「アメリカ音楽神話解体」だろう。副題のとおり、基本的にはミンストレル・ショウやブルースといった100年以上も前の音楽から、1970年代生まれのヒップホップまでのアメリカ音楽史を一望する内容なのだが、裏テーマとしてあるのは、…
私たちがブラック・ミュージックと呼ぶ音楽の「黒さ」を、音楽家の肌の色以外のものに還元しようとする時、そこには何が残るのだろうか。 本書が見出すのは、アメリカ黒人固有の経験からもたらされる「ブルース」という感覚である。「黒人の魂の深み」という…
元々がヒップホップへの関心からスタートしているこの「ロング・ホット・サマー」特集だが、ようやく音楽がメインの本にたどり着くことができた。 大人が読む入門書としてもおなじみ「岩波ジュニア新書」からの一冊で、ヒップホップが扱われるわけではないも…
この短いタイトルを見て、本書が「アメリカ黒人に関する文芸評論」だと想像できる人がどれだけいるだろう。むしろ表紙の紹介文を読んで、『アメリカ黒人の歴史』のような通史ものを期待する人もいるのではないか。今や重版されていないようだが、タイトルの…
フレデリック・ダグラス。元逃亡奴隷にして、奴隷制廃止主義を貫いた活動家の扱いは、アメリカの黒人解放史を通史的に追うような本の中でも決して大きくはない。 事実、パップ・ンディアイの『創元社本』では、「南部の白人や、無関心を決めこむ北部の白人に…
自由と平和への長い道のり――副題にはそうある。だが、果たして自由や平和が、アメリカ黒人の手に収められたことがあったのだろうか。それが指の隙間からこぼれ落ちることも、どこかへ思わせぶりに飛び立って行ってしまうこともなく? 監修者による序文には、…
その昔、「曲がりなりにもヒップホップを聞こうとしているならこれくらい読んでおいた方がいいよ」と指定されたのが、本田創造『アメリカ黒人の歴史』(以下、『本田本』)だった。 今となればその理由がよく分かる。ヒップホップとは、ニューヨークの荒廃し…
少なくとも、NHKの「沖縄本土復帰50年プロジェクト」としての『ちむどんどん』はおおよそ終わったように思う。 沖縄戦についての語りが終わり、料理人としても東京で認められ、予定されていたカップルの結婚が成り立ってしまった今、このドラマがこれまで…
これもまた越境者たちの物語だ。戦後の沖縄で、「沖縄」と「アメリカ」を隔てる境界線を跨ぎ、迷いながらも往復した者たちの物語だ。 タイトルの「米留」とは、文字通り米国への留学を指す。この制度が米軍政府によって設立された1949年前後といえば、米軍に…
「This is my revenge」と、2020年のミニ・アルバム『Partition』からの再録でもある「Revenge」で、Awichは何度も繰り返している。躊躇いを感じる、というほどではないが、冒頭の3曲で強調されたアルバム全体の挑発的なトーンと比べると随分と控えめな発声…
有刺鉄線のフェンス。その向こう側に広がる、沖縄の中のアメリカ。ならば、こちら側はアメリカの辺境としての沖縄だろうか。しばしば両者を媒介する、地元女性と米兵との恋愛――それは、ある種の沖縄現代史が半ば意図的に見落としてきたものかもしれない。フ…
「占領」という言葉に含まれた暴力性について考える。その言葉が意味するところの実際の光景や、その場を支配していたはずの絶望や緊張を想像しようとする。「占領」があるからには、その前に戦争があり、「敗戦」という形での終結がある。戦争の一部であり…
「沖縄」という一点のみでつながった、47人分のポートレート。いい意味でラフというか、この47人に何かを代表させたり、沖縄の何かを要約させたり、そういった作為を感じないのがいい。読者はほんの束の間、47人の人生の内側に触れ、また離れていく。その繰…
確かにこれは、本土の人間が沖縄の人々に示す態度として、一つの「倫理的正解」ではあるのだろう。沖縄へのコミットメントを深めれば深めるほど、むしろ強烈に感じられるようになっていく沖縄からの「拒絶」の感覚。それを内面化し、絶えず自らを責め、問い…
唐突な記録映像の挿入によって、それは描かれた。いや、あれは「描かれた」とすら表現し得ない暴挙かもしれない。「戦争によって失われた領土を、平和のうちに外交交渉で回復したことは、史上きわめて稀なこと」と自負してやまない政府高官らの万歳三唱。50…
この救いのない物語をいったいどのように受けとめたらいいのか、見当もつかないまま最後のページをめくり終える。ラース・フォン・トリアーの映画のよう、と言えば、伝わる人には伝わるかもしれない。苛烈で、執拗なまでの暴力描写がもたらす閉塞感と没入感…
岩波新書に残されたこの2冊は、ウィキペディアによれば阿波根昌鴻という伊江島の「平和運動家」による闘争記であり、また著者自らの言葉を借りるなら「農民の、小学校しかでていない、明治生まれのものの体験談」である。 基本的には、沖縄の戦後史に関心を…
沖縄タイムス編。米軍占領下に基地で働いていた人たちの聞き書きを83人分集めている。「はじめに」にあるように、編集意図は明確。「沖縄戦後史の空白を埋めることができるのではないか」という考えのもと、それを基地の内側から見つめ直そうというのである…
同じ著者(新崎)の『沖縄現代史』(2005年)では、わずか33ページに圧縮されている米軍支配下の沖縄。その尺が、『日本にとって沖縄とは何か』(2016年)の段階になって69ページにまで戻った意味は、辺野古新基地に揺れる今だからこそ、改めて「復帰」の意…
本書の旧版が出たのは1969年。沖縄の施政権は米国にあり、軍隊に支配されたその島に日本国憲法の適用はなかった。途中、引用されている米軍側の表現を借りるなら、沖縄で暮らす人びとは「一人前の日本国民でもなければ米国市民でもない」状態に置かれていた…
「まえがき」があることにまず驚く。こんなに慎重な作家だったろうかと思うほど親切な自著解題から入る本書は、著者の言葉を額面どおりに受け取れば、「いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」についての、コン…
日本で暮らす「移民」について知り、考えようという時に、望月優大著『ふたつの日本』の次に読むといいとどこかで読んだが、まさにそのとおりだ。「今、何が起きているのか」を直視し、建前だらけの受入制度を批判するのが『ふたつの日本』だったとすれば、…