Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

〔岩波書店〕

チェーホフ『ワーニャおじさん』書評|霞ゆく人生の蜃気楼

近代戯曲とは言え、100年以上も残っているチェーホフの古典を素朴に読んで、素朴な感想をインターネットで書き記すことに、いかなる意味があろうとも思わない。すでに莫大な量の研究、評論が存在しているはずであり、書評と称するからには、まずはそれらの基…

廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか』書評|「一文無しの孤児」が広げたもう一つのストーリー

平置きされていたわけでもないのに、何となくタイトルと目が合った。副題に入っている『ジェイン・エア』はおろか、『赤毛のアン』も、『若草物語』も、『あしながおじさん』さえも読んだことがないのに、先日読んだ『お姫様とジェンダー』の問題意識を継ぐ…

大田昌秀『沖縄のこころ』書評|沖縄戦という原点を見つめる

初版は1972年。復帰の年だ。しかし、浮ついた空気はまったくない。むしろ、そのような時だからこそ、本土の人間にはとうてい理解しようのない「沖縄のこころ」を、沖縄戦という原点から徹底的に問うのだという気迫がみなぎっている。 同時に、本書を支配する…

伊波園子『ひめゆりの沖縄戦』書評|先生は自決する。だれに対する責任だろう

勝手に触れてはいけない歴史というものがある。語られるのを、じっと待たなければならない歴史というものがある。もしも語られたのなら、私たちはそれを黙って聞き、そのまま受け止めることしかできないだろう。 沖縄戦に関する語りもきっとそうだ。15歳そこ…

ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』書評|特集「ロング・ホット・サマー」6冊目

元々がヒップホップへの関心からスタートしているこの「ロング・ホット・サマー」特集だが、ようやく音楽がメインの本にたどり着くことができた。 大人が読む入門書としてもおなじみ「岩波ジュニア新書」からの一冊で、ヒップホップが扱われるわけではないも…

本田創造『私は黒人奴隷だった』書評|特集「ロング・ホット・サマー」4冊目

フレデリック・ダグラス。元逃亡奴隷にして、奴隷制廃止主義を貫いた活動家の扱いは、アメリカの黒人解放史を通史的に追うような本の中でも決して大きくはない。 事実、パップ・ンディアイの『創元社本』では、「南部の白人や、無関心を決めこむ北部の白人に…

『アメリカ黒人の歴史(岩波新書、中公新書)』読み比べ|特集「ロング・ホット・サマー」1冊目・2冊目

その昔、「曲がりなりにもヒップホップを聞こうとしているならこれくらい読んでおいた方がいいよ」と指定されたのが、本田創造『アメリカ黒人の歴史』(以下、『本田本』)だった。 今となればその理由がよく分かる。ヒップホップとは、ニューヨークの荒廃し…

マイク・モラスキー『占領の記憶 記憶の占領』書評|沖縄 日本 アメリカ──占領とは何だったのか

「占領」という言葉に含まれた暴力性について考える。その言葉が意味するところの実際の光景や、その場を支配していたはずの絶望や緊張を想像しようとする。「占領」があるからには、その前に戦争があり、「敗戦」という形での終結がある。戦争の一部であり…

大江健三郎『沖縄ノート』書評|この「完全な葛藤」の先には何があるのか

確かにこれは、本土の人間が沖縄の人々に示す態度として、一つの「倫理的正解」ではあるのだろう。沖縄へのコミットメントを深めれば深めるほど、むしろ強烈に感じられるようになっていく沖縄からの「拒絶」の感覚。それを内面化し、絶えず自らを責め、問い…

阿波根昌鴻『米軍と農民』『命こそ宝』書評|沖縄からは「安保」がよく見える

岩波新書に残されたこの2冊は、ウィキペディアによれば阿波根昌鴻という伊江島の「平和運動家」による闘争記であり、また著者自らの言葉を借りるなら「農民の、小学校しかでていない、明治生まれのものの体験談」である。 基本的には、沖縄の戦後史に関心を…

中野好夫・新崎盛暉『沖縄戦後史』書評|戦後沖縄の揺らぎに耳をすます

同じ著者(新崎)の『沖縄現代史』(2005年)では、わずか33ページに圧縮されている米軍支配下の沖縄。その尺が、『日本にとって沖縄とは何か』(2016年)の段階になって69ページにまで戻った意味は、辺野古新基地に揺れる今だからこそ、改めて「復帰」の意…

大田昌秀『新版 醜い日本人』書評|日本にとって沖縄とは何か

本書の旧版が出たのは1969年。沖縄の施政権は米国にあり、軍隊に支配されたその島に日本国憲法の適用はなかった。途中、引用されている米軍側の表現を借りるなら、沖縄で暮らす人びとは「一人前の日本国民でもなければ米国市民でもない」状態に置かれていた…

MOMENT JOON『日本移民日記』書評|In The Place To Be

「個」であること。著者が特別な感情を寄せるラッパー、故ECDとの共通点を探すなら、私はこの一言にたどり着く。孤高を貫くとか、そういうことではない。「何かに寄りかからない」ということである。 例えば、自らが「移民」であることを宣言するときも。件…

大門正克『語る歴史、聞く歴史』書評|誰かの「正史」のための素材ではなく

傾聴、という行為がビジネススキルの一つになるような時代である。著者の言うとおり、今は「聞くことへの関心がひろがっている時代」なのかもしれない。 副題のとおり、オーラル・ヒストリーについて、150年の歴史をたどった一冊だ。もっと早く、「聞き書き…

上野千鶴子『女の子はどう生きるか』書評|せめて女の子の翼を折らないために

この国で、女の子として育ち、生きるということ。そして、この国で、女の子を育てるということ。それがこんなにも、ハードなことだとは思わなかった。ウンザリするようなニュースの山、山、山。その気付きは同時に、自分がこれまで出会ってきた女性たち全員…

『沖縄現代史(岩波新書、中公新書)』読み比べ|海を受け取ってしまったあとに(7・8)

「沖縄現代史」という、教科書のように一般的なタイトルではあるものの、やはり、この2冊の一致には何かしらの意図を見るべきなのだろう。 既に新崎盛暉の岩波新書『沖縄現代史』(以下、『新崎本』)が新版として再発されるほどの古典として認知されている…

岩波ブックレット『沖縄の基地の間違ったうわさ』『辺野古に基地はつくれない』書評|海を受け取ってしまったあとに(5・6)

辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票から、2年が経った。私は、『海をあげる』に「優しいひと」として登場する元山仁士郎氏が代表を務めたイベント「2.24音楽祭」を断片的に視聴しながら、当時、ハンスト報道の周辺に吹き上がっていた猛烈な賛否の声を前に…

高良勉『沖縄生活誌』書評|海を受け取ってしまったあとに(4)

沖縄愛にあふれ過ぎた「べき論」としての語りだったとしたら、重いなあ、と身構えていたのだが、心配ご無用。文体のマイルドさも相まって、読みやすい一冊だった。 戦後、1949年に、沖縄南部の百名・新原海岸のムラで生まれ育った著者は、自分が見て、触れて…

池宮城秀意『戦争と沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(3)

私の通っていた高校には、沖縄への修学旅行がなかった。過去にはやっていたらしいが、ある時廃止にしたということだった。進学に向けて、沖縄で平和教育「なんか」している場合ではないと、教員たちは考えたのかもしれない。 たしかに、もし沖縄行きがあった…

照屋林賢・名嘉睦稔・村上有慶『沖縄のいまガイドブック』書評|海を受け取ってしまったあとに(2)

ふと、沖縄に対する自分の関心というのは、素直じゃないんだろうなあ、と思うことがある。お前、ついこの間まで、『るるぶ』的な世界にいたじゃないかと。 だからこそ、コアの部分を早く理解しなければと思う一方で、なんだか裏口入学しているような、妙な居…

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』書評|海を受け取ってしまったあとに(1)

タイトルのとおり、ここには大きな問いかけがある。私は、正直に言って、本書を読み終えた今でもなお、この問いにハッキリと答えられる自信はない。知識というより、資格という点で。厳しい本だが、受け取れるものは多い。 著者はここで、戦後の70年、1945年…

宮本常一『忘れられた日本人』書評|忘れられた語りの静かな記録

" data-en-clipboard="true"> 静かに野心的な本だ。雑誌『民話』に連載された当時のタイトルが「年寄たち」であったことが象徴的である。それが「忘れられた日本人」になったのだから、本書が一冊の本として発行された目的は明白だ。その差分、つまり「忘れ…

上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー 新版』書評|あなた方の正史に、わたしは含まれていない

苦闘の書だ。著者、上野千鶴子の1990年代は、いわゆる「慰安婦問題」に捧げられている。本書はその総決算なのだが、達成感らしきものはどこにもない。 本書が戦いを挑んでいるのは、「ただひとつの真実」、「決定版の歴史」を求める人々の欲望である。端的に…

上野千鶴子『家父長制と資本制』書評|「二人目の母親」として考える

岩波から出ている上野千鶴子の学術本かあ、と怯むことなかれ。特に社会科学の訓練を受けたことのない筆者でも読み通すことができたのだから、さしあたり必要なのは問題意識である、と言っておきたい。 筆者の場合、それは「妻との育児・家事分担」であった。…

松田道雄『定本 育児の百科(上)』書評|育児をサボる権利

育児をサボる権利。上野千鶴子らが編んだ『戦後思想の名著50』にも収録された本書に「思想」があるとすれば、私はそのように呼びたい。育児の現場において、本書を貫く「楽観」に助けられたのは一度や二度ではない。我が家ではどうにか、この上巻の「2周目…