Trash and No Star

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鶴見俊輔『文章心得帖』書評|「紋切り型は嫌だ」という紋切り型

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 気の利いた、洒落た文章が好きだ。風流な表現があればつい真似して使ってしまうし、ありふれた表現はできる限り避けたい。村上春樹の小説に、ケルアックの小説を線を引きながら読んでる女の子が出てくるが、あれは私のことだ。

 内容なんてろくに読んじゃいない。文章が「良い感じ」であればそれでよかったのだ。文章を書くからには、文学でありたい。理想を言えば、三島由紀夫のように。それが叶わぬのなら、せめて文学「的」でありたい。長らくそう思っていた。

 

 そんな自分が鶴見俊輔の本を読んで衝撃を受けたのは謎であった。一文が短いし、言葉は洒落てない。文章の運びは事務的でさえある。なのに、刺さる。その秘密を知りたくて大昔に読んだのが、氏が1979年に文章教室を開いた時の様子をまとめた本書だが、最初に読んだ時はさっぱりであった。

 おそらく、当時は即効性の高い「答え」を期待していたのだろう。当たり前だが、そのような本ではなかった。いま再読して、やっと半分くらいが入ってきた感じがする。

 

 本書の核心。それは「紋切り型から逃げるな」ということである。もっと正確に言うなら「紋切り型を越えようとするな」ということである。かつての筆者のような、「文学的な」文章を好む人は世の中にたくさんいる。しかし、その「欲」こそが罠なのだという。

 変に言葉を加工せず、形容詞を多用せず、「歩く」とか「眠る」とか、「紋切り型の中の紋切り型」をあえて進めと。その意味がようやく分かった。少しズレるかもしれないが、エッセイストの山口瞳が、自分流のマナーを突き詰めた『礼儀作法入門』の中で、似たようなことを書いている。

 それはある結婚式での話。来賓のオッサン二人が、紋切り型を避けようと、スピーチ本を参考に「気の利いた祝辞」を用意してきたにも関わらず、逆に内容が被ってしまったというのである。まさに「紋切り型は嫌だ」という紋切り型である。氏はまとめる。「やはり、その新婚夫婦についての、二人だけに即した話をするべきではあるまいか。」

 

 もっとテクニカルな部分では、文章と文章の間合いを「演出」としてどこまで飛躍させるか、を調整する「文間文法」や、今やビジネスのフレームワークとして広く流通する「KJ法」の話なども印象的だが、第1章を割いている「書評」ということで言うなら、「その本に即した批評を、生まれた時から聞いてきた言葉で述べること」。要はこれである。

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著者:鶴見俊輔
出版社:筑摩書房ちくま学芸文庫
初版刊行日:2013年11月10日