1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』書評|排除され、分解された「ひとり」から何が見えるか

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  「癒しの沖縄」といったラベリングや、「助け合う沖縄」「抵抗する沖縄」といった理想化を回避し、沖縄が、そこに暮らす人々にとって「さまざまであること」を描くこと。内地と沖縄を隔てる境界線を境界線と認めつつ、内地の人間として、境界線の「向こう側」の世界の複雑さを描くこと。いま思えば、岸政彦の『はじめての沖縄』(2018年・新曜社)は、その困難さを受け入れるための本だったのかもしれない。

 同書の中で何度も繰り返し問われていたように、沖縄が「さまざまであること」を強調する語りは、例えば、「沖縄だって全員が基地に反対しているわけではない」みたいな語りのロジックにすぐさま回収されてしまう。それは政治的な駆け引きを回避することができない。だからと言って、政治的なニュアンスを抜きに、沖縄の多様性を「純粋に」語ることもまた難しい。

 

 要するに、沖縄が「さまざまである」ことを語ることは、何も語れなくなってしまうことと常に隣り合わせなのだ。実際、本書『地元を生きる』は、原稿が出揃ってから刊行までに4年もかかっているという。本書が構造的に帯びてしまう、ある種の暴力性のようなものがそうさせたのだろう。いっそ何も語らない方がいいのかもしれない、そんな選択肢もあったのではないか。

 

 しかし本書は、さまざまな逡巡の果てに、こうして世に問われている。沖縄は確かに「さまざま」である。しかし、でたらめに「さまざま」なわけではないはずだ、と。では、その「さまざま」さは何に規定されているのか。4人の共著者たちは、生活者たちの生活に寄り添い、その先にあるものをたどっていく。

 本書が重視する変数は、「階層」と「ジェンダー」だ。もちろん、これらにすべてを還元できるわけではないだろう。それでも、安定層であるか/不安定層であるかによって、そして男であるか/女であるかによって、経験される「沖縄」はあまりに違いすぎる。共著者たちの日ごろの調査が、その落差を何よりも物語っていた。

 

 本書の発見をごく単純化して要約するならば、階層が上がるほど共同体の価値が下がり、階層が下がるほど共同体の価値が「良くも悪くも」上がる、ということである。そして、それを本当に必要としている人にこそ、共同体の輪は届かない、ということである。

 「安定層」の人々は、沖縄的な共同体から距離を置いて対象化を図る。頼れる資源がほかにもある、ということの反映だろうか。沖縄への視線は時に冷ややかだ。

 次いで、「中間層」の人々は、沖縄的な共同体を活用し、むしろ積極的に拡張しようとする。確かに、そこでは助け合いが行われているようにも思える。しかしその小さな共同体は、あまりにも多くのものを背負いすぎて、やがて摩耗していくだろう。このコロナ騒ぎで、彼らはどうしているだろうか。

 

 そして最後には、「不安定層」を生きる若い男女が、同じコインの表と裏として語られる。ちょうど『裸足で逃げる』と『ヤンキーと地元』がそうだったように、両者は分かちがたく、だが決して交わらない。「ある関係性において抑圧する側だった者が、別の関係性においては抑圧される側の人間になってしまう」というジレンマが、そこにずっしりと横たわっている。

 このジレンマは、例えばアメリカから見た日本、内地から見た沖縄、那覇から見たコザ、沖縄本島から見た離島、という相似的な構造の中にも見出すことができる。それらは何層にも重なり、簡単にはほどけないものとして、沖縄を取り巻いている。より大きなものから、より小さなものへ。視点の移り変わりとともに、転移していく暴力を、打越と上間はここでも徹底的に、より構造的に描いている。

 だが、そうした相似形にも「端っこ」がある。大きな抑圧から必然的に生じ、下へ下へと転移してく暴力が生み出すのは、徹底した排除だ。そのしわ寄せは、周辺の中の周辺で過酷に「調整」されている。末端部分において、共同体は跡形もなく分解され、最小単位の「二人」であることも許されない。最後に残るのは、どこまでも取り残された「個」だ。上間が担当する最終章は、「ひとりで生きる」と題されている。

 

 この「個」から、逆照射することで見えるのは何だろうか。そこからの視野は、どれほど狭いのだろうか。本書が知ろうとしているのは、まさにその「狭さ」だと思う。それは、大量のサンプリング・データからは見ることができない、他者の人生そのものだ。

 それがどれほど過酷であっても、誰かの人生を前に、それを異常値や特異点などと呼んで逃げたりはしない。だからこそ、読む方も目をそらすことができないのだ。どこに境界線があり、誰が取り残されているのか、それを少しでも具体的な輪郭と構造の中で想像すること。どんなにささやかでも、そこから始まる共同性があると信じたい。

 本書を読み終え、顔を上げたとき、そこに「癒しの沖縄」はもうない。
 
  

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著者:岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子
出版社:ナカニシヤ出版
初版刊行日:2020年10月20日