ある朝、朝刊の見出しに「辺野古 土砂投入2年」とあった。添えられた青い写真に思わず見入る。それは確かに、私の海だった。『海をあげる』と、上間陽子さんから渡された私の海だった。
記事を読んでいくと、「米軍普天間飛行場の危険性が継続するばかりか、住民にとって負担増ともいえる状況が進んでいる」とある。同じ文脈で、「負担軽減とはほど遠いともいえる実態が地元にはある」とも、書いてあった。
この記事にケチをつけたいわけじゃない。そんな資格があるとも思っていない。でも、何かを恐れるように付け加えられるこの「ともいえる」という言葉は、一体どういう表現なのだろうか。特に、負担軽減とはほど遠い「ともいえる」というのは、一体どういう表現なのだろう。
見方によっては、そう「ともいえない」という意味なのだろうか。このちょっとした距離は何なのだろうか。これを書いた記者は、何から一歩引いたのだろうか。
自分なりの言葉を持ちたいと、思った。もう、私はその海とは無関係ではないのだから。確かに、この手に受け取ってしまったのだから。
だからどれほど地道であっても、私は少しずつ勉強してみようと思う。当たり前だが、大人になると誰も「勉強しなさい」とは言ってくれない。勉強は自分で望まない限りできないのだ。
というわけで、この勉強の記録を、今後の更新に当たっての一つの明確なテーマにしたいと思う。題して、「海を受け取ってしまったあとに」。不定期更新とし、通常の投稿の合間に、『沖縄の本』に関する読書録をシリーズとして投稿する形としたい。
なお、序盤の選書に当たっては、「沖縄の本」を専門に扱っているという、神戸市の書店『まめ書房』さんのツイートを出発点とさせていただいたことを、念のため申し添えておく。(連投ツイートの冒頭のみ貼り付けるので、興味のある方はリンク先を追ってみて欲しい。)
上間陽子「海をあげる」を読んで何かを受け止めた方、あるいは途方に暮れた方へ。
— まめ書房 -沖縄の本と工芸-神戸岡本 (@mameshobo) 2020年11月22日
次の一冊としてお薦めの本を。
①【ヤンバルの深き森と海より】目取真俊
辺野古の海で、高江の森で、国家が沖縄に振るう暴力と差別。辺野古でカヌーに乗り抗議を続ける沖繩の作家による、14年にわたる渾身のルポ。→ pic.twitter.com/bVZZMDsz6B
沖縄――。生涯で二度しか訪れたことのない、ほとんどすべてを知らない、遠い場所。これからどうやって、出会いなおしていくことになるのだろうか。そしてこの海のことを、自分は子どもたちにどうやって伝えていくのだろうか。
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(更新履歴)
2021.2.3 Ver.1更新(沖縄本のシリーズをスタート)
2022.2.4 Ver.2更新(読書案内の形式に大幅変更)