1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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【読書案内】シリーズ:『沖縄の本』|海を受け取ってしまったあとに

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 ある朝、朝刊の見出しに「辺野古 土砂投入2年」とあった。添えられた青い写真に思わず見入る。それは確かに、私の海だった。『海をあげる』と、上間陽子さんから渡された私の海だった。

 

 記事を読んでいくと、「米軍普天間飛行場の危険性が継続するばかりか、住民にとって負担増ともいえる状況が進んでいる」とある。同じ文脈で、「負担軽減とはほど遠いともいえる実態が地元にはある」とも、書いてあった。

 この記事にケチをつけたいわけじゃない。そんな資格があるとも思っていない。でも、何かを恐れるように付け加えられるこの「ともいえる」という言葉は、一体どういう表現なのだろうか。特に、負担軽減とはほど遠い「ともいえる」というのは、一体どういう表現なのだろう。

 見方によっては、そう「ともいえない」という意味なのだろうか。このちょっとした距離は何なのだろうか。これを書いた記者は、何から一歩引いたのだろうか。

 

 自分なりの言葉を持ちたいと、思った。もう、私はその海とは無関係ではないのだから。確かに、この手に受け取ってしまったのだから。

 だからどれほど地道であっても、私は少しずつ勉強してみようと思う。当たり前だが、大人になると誰も「勉強しなさい」とは言ってくれない。勉強は自分で望まない限りできないのだ。

 

 というわけで、この勉強の記録を、今後の更新に当たっての一つの明確なテーマにしたいと思う。題して、「海を受け取ってしまったあとに」。不定期更新とし、通常の投稿の合間に、『沖縄の本』に関する読書録をシリーズとして投稿する形としたい。

 なお、序盤の選書に当たっては、「沖縄の本」を専門に扱っているという、神戸市の書店『まめ書房』さんのツイートを出発点とさせていただいたことを、念のため申し添えておく。(連投ツイートの冒頭のみ貼り付けるので、興味のある方はリンク先を追ってみて欲しい。)

 

  

 沖縄――。生涯で二度しか訪れたことのない、ほとんどすべてを知らない、遠い場所。これからどうやって、出会いなおしていくことになるのだろうか。そしてこの海のことを、自分は子どもたちにどうやって伝えていくのだろうか。 

 

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【シリーズ『沖縄の本』:海を受け取ってしまったあとに】

 

(2022.2.3追記)

 

 上間陽子さんの『海をあげる』が、2021年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞した。受賞スピーチが素晴らしいと、ツイッターのタイムラインはちょっとしたお祭りのようだった。

 だが、私はそのお祭りのような騒ぎに入っていけなかった。この本のように、静かで、しかし激しい、絞り出すようなスピーチを聞いていると、とてもじゃないが「おめでとうございます」という言葉が相応しいとは思えなかったのだ。

 もちろん、すべての祝意は心からの善意で表明されていたはずだ。皆、優しい。だが、『海をあげる』のレビューにも書いたが、この本が問うたのは、まさにその「優しさ」ではなかったか。その「優しさ」が、大きな声を持たない、だが『海をあげる』で描き出されるものと同じ思いを抱きながら生きる沖縄の人々に対して、どうして同じように注がれないのだろうか。

 

 ここまで来ると、はっきり言ってどうしたらいいのか分からなくなる。何を偉そうに。自分にだって、何もできやしないじゃないか。そうやって、沖縄のことを知れば知るほどに、ただ内省に沈んでいく感覚が強まっていた。

 そんな時、沖縄の施政権返還50年を特集する朝日新聞の「オピニオン」欄(2022.2.2朝刊)で、岸政彦先生のインタビューが掲載された。現在、沖縄戦の体験者、サバイバーの方々から生活史の聞き取り調査を進めている立場からの発言なのだが、「研究を続けていて、沖縄を『かわいそう』と思ったことは一度もないです」というコメントに私は衝撃を受けた。

 実際の文脈はかなり前向きなものなので、ぜひ本文を当たっていただきたいのだが、私は沖縄を知っていく中で、いつの間にか「かわいそうな(だけの)沖縄」という像を勝手に作り上げていないか、見抜かれたような気がした。そして、それに同情する「内省的な(だけの)自分」というポジションにいつの間にか居心地がよくなっていないか、問われているような気がした。
 「ひとりの日本人として沖縄にどう向き合うか、いくら考えても何も変わらない。その間に、辺野古に土砂を入れられてしまった。個人として勝手に内省的になっても徒労でしかない」。インタビュー記事の終盤、岸さんは優しい、内省的な日本人にこう呼びかける。「それでもやはり、できることをやるしかない」と。

 

 もし、あなたが一年前の私のように、『海をあげる』を読んで、少しでも沖縄のことを知ろうとしているのなら、これまでの、そしてこれからの自分の読書経験を切り出して、渡してあげることはできるかもしれない。その思いを頼りに、元のエントリーを大幅に再構成し、自分なりの【読書案内】という形で、ここに再公開したい。

 あなたが受け取ってしまった「海」の大きさをきっと、私も分かっているはずだから。

 

1 通史もの

 私のように、人並みの歴史知識もない人を想定して書き始めてみることにしよう。『海をあげる』を読んでまず感じるのは、なぜ、沖縄だけがこんなにも理不尽な立場に置かれているのか、ということだろう。

 こういう時、最低限の歴史知識はやはり必要だろう。一から十まで完璧に、という意気込みはいかにも空回りしそうだから、よほどの自信がない限り、価格がお手頃で、数日で読み切れる新書がおすすめだ。

 私が今日までに読んだのは3冊だが、最初の一冊を選ぶのならやはり、新崎盛暉氏の『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書)である。1945年の敗戦、そして沖縄の軍事占領に始まり、1950年代における土地の強制接収から、辺野古における強行工事まで脈々と続く「暴力」と、民衆レベルから政治レベルに至る懸命な「抵抗」の歴史を描き出す。

 『海をあげる』の中で、上間さんが一人の住民として感じる理不尽さが、歴史的で、構造的で、あまりにも非対称な権力関係から生じている事実を知る時、あなたは本書の標題に掲げられた問いにどう答えるだろうか。

 

《まずはこの一冊》

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』書評|海を受け取ってしまったあとに(1) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

『沖縄現代史(岩波新書、中公新書)』読み比べ|海を受け取ってしまったあとに(7・8) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

2 沖縄戦 

 通史をまとめた新書を読み終えた時、どこに引っ掛かりを感じたかは人それぞれだろうが、それなりの人がまず、「沖縄戦」とは何だったのか、という疑問に至るのではないか。そこでの沖縄は、「捨て石」という言葉で形容されている。沖縄を捨てたのは誰か。日本にとって、沖縄とは何か。

 このテーマでは多くの有名作があり、それに比べてほとんど(買ってはいるものの)読み進められていないのだが、自らも沖縄戦のサバイバーである池宮城秀意氏の『戦争と沖縄』(岩波ジュニア新書)はとても静かで、迫力のある本だった。

 著者は沖縄戦の終盤を、「もはや戦争といえるものではなかった」と表現する。その悲惨さを、無用な演出をすることなく、淡々と語っている。その上で、一般の市民から見た、日本軍やアメリカ軍の姿を、圧縮された高度な言葉ではなく、一般の市民の言葉によって描く。日本の、本土の高校生は、やはり沖縄へ「平和学習」に行くべきである。

 

《まずはこの一冊》

池宮城秀意『戦争と沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(3) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年 』『ヤンバルの深き森と海より』書評|海を受け取ってしまったあとに(12・13) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

3 基地問題

 『海をあげる』が描く現在進行形の暴力は、あえて繰り返すまでもなく、沖縄に押し付けられた基地問題に由来する。普天間基地の撤去をどうするかという話が、いつの間にか辺野古新基地を沖縄が受け入れるのか、受け入れないのかという問題にすり替えられることで、強力な抵抗運動が展開すると同時に、多額の国家予算が投入される。

 辺野古の工事を強行する政府のロジックや、新型コロナの水際対策でにわかに注目を集めた日米地位協定に関してもおすすめの入門書があるが、どうにか一冊を選ぶのなら、熊本博之氏の『交差する辺野古 問いなおされる自治』を挙げたい。

 本土、沖縄、アメリカといった「大きな」主語を使って語られがちな辺野古新基地建設問題を、地元住民の立場から語り直す一冊で、基地問題にフォーカスを当てた現代史のまとめについても、これまで挙げたどの本よりも丁寧。冒頭に引いた朝日新聞の岸政彦インタビューの言葉を借りれば、こういうことである。

 「いくら反対しても、政府は自らの理由で辺野古に基地を置こうとし、地元の人たちの理由は無視される。そんなとき、基地受け入れの見返りで交付金を得るといった短期的に見て合理的な選択をすることもあるでしょう。長期的にみれば基地の黙認が不合理な選択だったとしても、それが沖縄の置かれた現状です」

 

《まずはこの一冊》

熊本博之『交差する辺野古 問いなおされる自治』書評|海を受け取ってしまったあとに(9) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

岩波ブックレット『沖縄の基地の間違ったうわさ』『辺野古に基地はつくれない』書評|海を受け取ってしまったあとに(5・6) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年 』『ヤンバルの深き森と海より』書評|海を受け取ってしまったあとに(12・13) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』書評|海を受け取ってしまったあとに(14) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

4 生活・文化 

 冒頭の問題意識にもつながるが、もちろん、沖縄は基地問題に苦しむ「かわいそうな」だけの場所ではない。その島々の上で、人々が実際に生き、死に別れてきた以上は、そこには生活があり、文化があり、習慣がある。

 もし、こういう分類を設けるのなら、まだ決定的な一冊を読んだという気はしていないのだが、本で勉強することなのだろうかという気もして、なかなか膨らまない。何かおすすめの一冊があったら、教えていただけたら嬉しい。

 

《これまでのエントリー》

照屋林賢・名嘉睦稔・村上有慶『沖縄のいまガイドブック』書評|海を受け取ってしまったあとに(2) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

高良勉『沖縄生活誌』書評|海を受け取ってしまったあとに(4) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

5 沖縄論

 こうやって本を読み進めてくると、何かあなたの中でも「言葉」が動き出すのではないだろうか。

 沖縄の置かれている理不尽な状況について、建設されようとしている辺野古新基地について、あるいは政治的な駆け引きや、多額の交付金、あるいは、それらを構造的には温存している「本土に生きる(そして、そのために内省的になっている)私」について、あなたは語ろうと思えば語れるはずだ。

 だが、それはどこから来た言葉だろうか。その言葉には血が流れているのだろうか。「沖縄について考えること」について、あなたは、そして私は、どれほど考えただろうか。考えるだけでは、何も変わらないかもしれない。だが、考えなくて何ができるのだろうか。

 そうした思考の「ぐるぐる回り」を、さらに何周も、何周も、何周も多く周回してきたであろう、岸政彦著『はじめての沖縄』は、そこからの「次の一歩」をどうにか踏み出していく上で必携の一冊だ。

 それは、沖縄と私たち本土との「境界線」を勝手に無視しないためのアラートであり、同時に、沖縄の抱える「大きな」歴史だけを語るのでもなく、それを否定するのでもなく、そこを生きる一人ひとりの個人史と結び付けていく可能性を感じさせる一冊でもある。

 

《まずはこの一冊》

岸政彦『はじめての沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(10) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

仲村清司・宮台真司『これが沖縄の生きる道』書評|残り半分の責任はどこに - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

6 沖縄文学

 これについては、沖縄を舞台にしていればなんでも沖縄文学と呼びうるのか、という問題意識がないわけではないが、偉そうなことを言う前に、ツイッターで交流(?)のある人たちの中に、大学で勉強したレベルで詳しそうな人が何人もいるので、少しずつおすすめを教えてもらおうなんて思ったりもしている。

 現状では、ほとんど読んでいないに等しい量であるが、目取真俊との出会いは衝撃的であった。実は、レビュー外で短編をいくつか読んだのだが、『虹の鳥』を読み終えた時、しばらく身動きが取れなかったことをよく覚えている。死者が語らぬまま、いや「語れぬ」まま持ち去ってしまった言葉を、絶望を、目取真は読者に突き付ける。

 

《まずはこの一冊》

目取真俊『虹の鳥』書評|海を受け取ってしまったあとに(11) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

桐野夏生『メタボラ』書評|はなればなれに - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

真藤順丈『宝島』書評|THERE'S A RIOT GOIN' ON - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

7 現代沖縄 

 ここに至るまでに、もしこのエントリーの意図するとおり、何冊かの本を読んでもらえたのなら、あなたは沖縄が抱える未解決の、それも現在進行形の苦しみの重さをすでに(知識としては)知っているだろう。

 確かに、沖縄はいろいろなものが背負わされた場所だ。だが同時に、あなたと同じように、この時代を懸命に生きる、見知らぬ誰かが暮らす場所でもある。それを「地元」という言葉で引き取り、階層別の質的社会調査を統合する形で出版された『地元を生きる』は、現代沖縄の断片的で、しかし重層的な記録である。

 時に「人と人のつながりが濃い」という風に、肯定的に語られる人間関係や、それに象徴される沖縄の「地元」感に対し、人々は時に距離を置きながら、時に巻き込まれながら、あるいは時に、それからも排除されながら、沖縄を生きている。

 

《まずはこの一冊》

『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』書評|排除され、分解された「ひとり」から何が見えるか - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

打越正行『ヤンキーと地元』書評|「癒しの沖縄」から切り離された世界で - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

8 沖縄を生きる(た)者から

 政治的な、あまりにも「大きな」語りだけではなく、そこに生きる「普通の」生活者の声を、ということであれば、当事者の声に耳を傾ける方法がいくつか存在する。質的社会調査を除けば、聞き書きやエッセイ、あるいは音楽、特にヒップホップは、現代沖縄を生きる若者たちの声を映し出しているように思う。

 インターネットを検索すれば、沖縄出身・在住ラッパーのまとめサイトがいくらでも見つかるが、これまでのところ、もっともよく聴いているのは唾奇(つばき)であり、彼の実質的なデビュー・アルバムである『道 -TAO-』は、書評ブログという枠を取っ払って、何かコメントを付けずにはいられなかった。

 レビューにも書いたが、打越正行著『ヤンキーと地元』に描かれた世界のすぐ近くに、あるいは上間陽子著『裸足で逃げる』に描かれた世界のすぐ裏側に、まだ語られていない世界があって、そこに生きる若者たちに相応しいサウンドトラックがあるとしたら、それはきっとこんな音楽だと思う。

 

《まずはこの一作》

唾奇『道 -TAO-』音楽評|ラッパーと地元(沖縄篇①) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

《その他のエントリー》

Cocco『想い事。』書評|夢の終わり、故郷の続き - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

新垣譲『インタビュー 東京の沖縄人』書評|寄せては返す、東京の沖縄 - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

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(更新履歴)

 2021.2.3 Ver.1更新(沖縄本のシリーズをスタート)

 2022.2.4 Ver.2更新(読書案内の形式に大幅変更)