Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

『沖縄現代史(岩波新書、中公新書)』読み比べ|海を受け取ってしまったあとに(7・8)

f:id:dgc1994:20210309231908j:plain

 「沖縄現代史」という、教科書のように一般的なタイトルではあるものの、やはり、この2冊の一致には何かしらの意図を見るべきなのだろう。

 既に新崎盛暉岩波新書『沖縄現代史』(以下、『新崎本』)が新版として再発されるほどの古典として認知されている中での「あえて」の発行であるから、2015年の中公新書『沖縄現代史』(以下、『櫻澤本』)は、むしろ『新崎本』との比較を望んでいるように思える。

 実際、『櫻澤本』の主要参考文献一覧の中で、新崎盛暉が個人としては最も多い参照先であること、また、文中での言及の温度感から言っても、『櫻澤本』が持つ問題意識、あとがきにある「沖縄現代史についても、1950年代から本土同様の保革対立を前提にする理解がいまだに根強い」という意識は、『新崎本』にも向けられているのだろう。

 

 その『新崎本』が描くのは、沖縄の民衆による抵抗の歴史である。政治史でもあるが、ここでの政治とは、民衆の怒りや、時には諦めが、選挙を通じてどのように可視化され、また間接民主主義という限界の中でどのように挫折し、冷却されていくかを計測するための指標である。

 後年の『日本にとって沖縄とは何か』でより分かりやすく顕在化するように、沖縄を流れるマグマのような抵抗の意思を掴み、それが生じる仕組みを構造的に/歴史的に把握した上で、最後は日本の本土に向けて、「沖縄を犠牲にしている自覚はあるか」と問いかける。言葉は冷静だが、怒っている。

 

 新崎が睨みつけるのは、一貫して日米安保体制だ。それは「日本の国防」という建前からどんどん拡張し、「日本を含むアジア・太平洋の平和と安全」の確保という、世界の警察官たるアメリカの世界戦略の実現に向けて更新され、日本はそれを積極的に補完してきた。莫大な資金と、沖縄を差し出すことによって。

 自省なくしてこの先を書くことはできないが、それでも断言しなければならない。本土住民の無関心が、この構造を保存し、強化している。差別がなくならないのは、構造的に、差別する側にとって、不作為こそが最大の利益となるからだ。

 私たちは、沈黙し、あるいは無知でいる限り、在日米軍基地の大半を沖縄に集中させることに同意している。沖縄で暮らす人々の上に、たくさんの戦闘機を飛ばすことに同意している。まずは、そのことを知ることでしか何も始まらないと、『新崎本』は言っているように思う。

 

 総じて、いかにも新書らしいコンパクトなボリュームながら、重苦しい本だ。それを書評と呼ぶにしろ、感想と呼ぶにしろ、容易く文章になどできない感じがする。そういう重さがずっしりと肩に残る。読み終えた瞬間には、思わず唸り声が漏れてしまった。

 

 一方、こうした一種の高揚を、いったん相対化しませんか、というのが『櫻澤本』だ。本書が目指しているのは、ともすれば「抵抗する主体」としての表情が正統的に描かれがちな沖縄を、角度を変えて見つめ直すことである。あるいは、意図的に忘却されている「保守する主体」としての沖縄の表情を思い起こすことである。

 ごく単純化して言えば、『新崎本』において革新側は善であり、保守側は悪である。しかし、『櫻澤本』がまえがきで紹介するのは、「本土への復帰は沖縄経済が自立してから」と主張していた保守勢力の声だ。保守だって「よりよい沖縄」は目指していたのであり、それを傍流と見なす新崎を第5章では明確に批判している。

 

 「民衆抵抗史」的な『新崎本』と、『櫻澤本』とを分けるもの。その極たるものが、経済的な視線であろう。所得や失業率といった経済指標、各種の国庫支出に関する淡々とした語り口が、もう一つの現代史への視界を広げてくれる。それは確かであるし、現代沖縄の階層的な分断を描いた『地元を生きる』で問題化されていた、極端に低い第2次産業を沖縄がどう考えてきたのかも、ここで歴史的に学ぶことができる。

 しかし、専門家から高く評価されているこうした丁寧な目配せは、初学者にとってはしんどい、勤勉過ぎる網羅性となっており、途中、やや息切れする。言い換えれば、『櫻澤本』は、著者によって「一般的な語り」と称されている『新崎本』的なものに対する「メタ現代史」になっているので、その意味では、ベタを知らない全くの初心者には向かないかも知れない。

 

 この点で、私は「読むなら、まずは『新崎本』から」という立場を取るが、米軍支配下の27年間については、著者自身が記載量の限界を認め、 中野好夫との共著『沖縄戦後史』に譲っているので、網羅性に耐える自信があるのであれば、量は『櫻澤本』に軍配が上がる。

 とはいえ、この2冊は正面から対立しているわけではない。むしろ、沖縄を流れるマグマのような感情として、「沖縄戦の経験/歴史認識」や、「これ以上の基地は勘弁」という大きな共同性を見い出す点は、どちらも同じだ。うまく併読したい。 

 

******

(写真左)
著者:新崎盛暉
出版社:岩波書店岩波新書
初版刊行日:2005年12月20日

 

(写真右)
著者:櫻澤 誠
出版社:中央公論新社中公新書
初版刊行日:2015年10月25日