最後にいい事があったのは、一体いつだろうか。思い出せない。明日、いい事が起こるなんてことも、別に期待していない。人生の大きな抽選からはすでにあぶれてしまったし、サクセスストーリーの最終電車からもとっくの昔に降りてしまった。この人生がどこに向かっているのか、もう自分にすら分かりゃしない。
そんな風に、もはや人生を祝福しておらず、人生からも祝福されていない人々。そこから覚めるために夢を見る人々。レイモンド・カーヴァーが描くのは、そういう人々だ。少なくとも、ここで描かれる人たちがこの先、合衆国の長者番付にエントリーする可能性は限りなく低いだろう。もう一発逆転はない。
それでも、人生は続いていく。
本書は、いずれも短編集である76年の『頼むから静かにしてくれ』、81年の『愛について語るときに我々の語ること』、83年の『大聖堂』、88年の『象』からの、訳者選定によるリミックス版である。
前半の初期作品こそ、ペーパーバックで床に寝っ転がりながら読みたくなるような軽快さだが、訳者が「暗い予感」と呼ぶ停滞の感覚、緩やかな下降の感覚は、後半に進むにしたがって強くなる。それを喜ぶかどうかは読者の好み次第としか言いようがないが、私はその控え目な演出の巧みさに圧倒されていた。
それは、固定カメラによる気まずいほどの長回しのような、どこか映画的な感性であり、例えば「愛について語る時に我々の語ること」や「ささやかだけれど、役にたつこと」のエンディングにおいてそれは、「何も動かさず、何も語らないこと」によって見事な余韻を引き出している。
一方、あらゆる逸話はとても世俗的で、訳者の好む言葉を使うならば、とても実際的だ。カメラが追うのはいずれも半径2メートルの世界で、小説みたいにマジカルなことは何一つ起こらず、起こることと言えば、つまらない喧嘩や、交通事故や、酩酊や、離婚や、不倫や、失業といった、ドラマみたいに平凡なものばかりだ。
それでもここには、絶望ばかりがあるわけじゃない。カーヴァーはこれらの人々を、恥ずかしいと思って描いているわけではない。こんなに素朴な読み方でいいのだろうかと迷ってしまうくらい、私はこれらの起伏の少ない断片的な物語を(物語と呼ぶのが大げさならば、小話を)染み入るような気持ちで読んだ。
これでも私は、きっと語り過ぎなのだろう。見知らぬ誰かに黙って渡したくなる、不思議な本だ。
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著者:レイモンド・カーヴァー
訳者:村上春樹
出版社:中央公論社
初版刊行日:1989年4月20日