Trash and No Star

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岸政彦・石岡丈昇・丸山里美『質的社会調査の方法』書評|一回限りの、すぐに消えてしまうものについての知

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 一回限りの、すぐに消えてしまうもの。それを、一回限りの、完全には再現できない方法で調査すること。二重の意味で、一回限りの社会調査。本書で概説されている「質的調査」の定義を自分なりに要約すると、こんな感じになる。

 大規模アンケートと統計を駆使する「量的調査」のそれに比べると、質的調査の「確からしさ」は、いかにも心許なく思える。共著者の一人・岸政彦の著作をめぐって、「文学的」という言葉がしばしば使用されるのは、きっとそのためだ。

 実際、「質的調査では同じ対象に同じテーマで調査をしても、性別や年齢、社会的立場などの属性によって、違った人間関係ができ、違ったものが見えることになります」(第1章:丸山)というから、なんだか落ち着かない。

 

 学問的なバックグラウンドのない私に参照できるものは限られているが、思い出すのは思想家・東浩紀の言葉だ。

 ある対談イベントでのこと。「思想って意味あんの?(大意)」というひろゆきの質問に対し、「世の中には反復可能なものに関する知と、反復不可能なものに関する知があり、構造が違う」と東は述べている。なるほど、と思った。

 

 私たちは皆「反復不可能な歴史」(東)であり、それを調査をしたところで、そこで得られた知を誰かに応用できるわけではない。「現に人生が、ひとりの人間によってどう生きられているのか」が、分かる。ただそれだけだ。

 しかし、ここを省略して理解できる社会なんてあるのだろうか。それ以前に、そもそも社会を理解するって、いったいどんなことなんだろうか。本書を読んで改めて考えさせられた。この疑問さえ共有できれば、私のような一般読者にも十分に面白い本だと思う。

 

 「理論や概念の妥当性を検証するために事例があるのではない」(第2章:石岡)。「人びとが危機に直面した際の感覚やその状況下での〈ものの捉え方〉を組み込んだ分析をおこな」い、「観察対象とされた人びとにとっての当たり前とは何かを探求する」ことによって、「調査者とフィールドの人びとが〈世界〉を分有する」ことが可能になるという。

 他者の目を借りて、そこから世界を見直すこと。質的調査とは、「他者を理解する」という傲慢や暴力に、それでもなお近づこうとする営みだと私は理解した。それはきっと、他者を、そして社会を理解することとはどういうことかという問いそのものを、絶えず問い続けていくために行われているのだと思う。

 

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著者:岸政彦・石岡丈昇・丸山里美
出版社:有斐閣
初版刊行日:2016年12月20日