Trash and No Star

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岸政彦『断片的なものの社会学』書評|ただそこにあり、日ざらしになって忘れ去られているもの

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 掴みどころのない本だ。2015年に買って、以来、断片的に、なんとなく思い立った時に表紙や目次を眺めたり、中身を部分的に読み返したりしているのだが、じゃあ一体どういう本なのかと問われると、うまくハマるような言葉が見つからない。要約されることや、まとめられることを拒み、飄々としている。

 断片的なもの。分析されざるもの。誰にも隠されていないが、誰の目にも触れないもの。ただそこにあり、日ざらしになって忘れ去られているもの。そういうものを、ただそこにあるものとして、ただそのままに見ること。そういうことについて考える時に、社会学者・岸政彦が考えることについての、本である。

 世間の常識では、エッセイと呼ばれる内容だろう。その意味で、これはとても個人的な本である。文体も極めて平易だ。だがここには、著者が世界と向き合う際の基本的な態度、社会学者として調査に臨む上での哲学のようなものが、凝縮している。こういってよければ、それは世界に触れる際の「文学的なセンス」のようなものである。

 個人的で、やや観念的な本。だけどやっぱり、とても世俗的で、とても社会的な本だと思う。唐突に挿入される二つの生活史だけがそうさせるのではない。この本を読んでいると、自分の知らないところで、自分の知らない誰かが今、この瞬間も暮らしていて、社会が確かに「そこにある」ことを感じ、想像することができる。

 

 本書をそのようなものとして成立させているのは、具体的な、あまりに具体的な社会の断片、欠片、切れ端たちである。『東京の生活史』を特集したNHKの特番「私の欠片と、東京の断片」でも引用されていた「道ばたに落ちている小石」についての逸話が象徴的だが、ほかにもある。

 夜の散歩中にたまたま見えた、ホテルのエレベーターに乗り込む見知らぬ誰か。何年も更新されていない、誰かの携帯ブログ。潰れたガソリンスタンドの事務所の中に放置され、立ち枯れたユッカの木。もともとエッセイってそういうものかもしれないが、話はそこからなだらかに、時には急激に、思いもよらぬ場所へと続く。

 だから、誰かの生活史をただ並べただけでは、多分、誰にも『街の人生』は書けないし、岸政彦にもなれない。一回限りの、すぐに消えてしまうものを調査する質的調査が原理的に抱える文学性のようなものについては、『質的社会調査の方法』の評に自分なりにまとめたつもりだが、著者のコアにあるものは本書にこそ書かれていると思う。

 

 このあたりですでに、このブログの規定する文字数を超過してしまっているので、冒頭に書いたことをすべてひっくり返し、暴力的にまとめよう。本書を貫く著者の文学的なセンスとは、徹底された「反物語」の感覚である。

 

 理解を超えた、分析できないものを前に、私たちはついつい、「意味」を与えて物語にしがちである。というか、多くの人は多分、ちょっとした物語化を行うことで、日々をやり過ごしているのではないだろうか。それは生きるための知恵ですらあるだろう。だが、著者にとってそれは、世界を台無しにしてしまうこと以外を意味しない。

 逸話としてもっともシンプルなのは、終盤の「時計を捨て、犬と約束する」だろうか。それは、著者が大学生だった頃の話。ある日、小学校1年の頃からずっと飼っていた犬が死んだという。その犬は癌で、不在にしていた家族に代わって、実家で看病をしていたのだが、少しの外出中に死んだのだ。

 ある優しい人が、岸青年にこう言った。「あなたに死に際を見せたくなかったから、出かけているあいだに先に逝ったんだよ」と。これが解釈であり、意味付けであり、物語化である。あるいは優しい、誰も傷つけることのない嘘だ。しかし著者は、それを頑なに拒む。その物語化によって、失われてしまうものを思って。

 犬はただ単に、死んだのである。岸青年がその死に目に居合わせられなかったことは、無意味な偶然に過ぎない。ひとりで死んだ犬の孤独は、死んだ犬のものであり、岸青年がこどものころから抱いてきた犬への愛情は、岸青年のものである。誰かが収奪し、意味を加え、勝手に変奏していいものではない。

 

 これと同じことが、きっと誰かの人生についても言える。あるいは、社会や、そのすべての断片についてさえも。バラバラなものは、あくまでバラバラなのだ。だが、私たちはきっと、お互いに完全に無関係で、完全に無意味なのではない。無意味であることに耐えかねて、勝手に反転させてしまうことが問題なのだ。

 奇跡的なまでにかけがえのない、すべての者たちが、残酷なまでに無意味であること。その意味を、ひっくり返すことなく、そのまま受け入れること。そして、それらの無意味さが重なり合い、集まっていることが、それでもやっぱり奇跡であることを、「道ばたに落ちている小石」としてそのまま感じること。

 私が読んだ限り、これはそういう本である。

 

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著者:岸 政彦
出版社:朝日出版社
初版刊行日:2015年6月10日

 

※思い入れのある本なので、上限文字数を大幅に超過していることを申し添えます。