Trash and No Star

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MOMENT JOON『日本移民日記』書評|In The Place To Be

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 「個」であること。著者が特別な感情を寄せるラッパー、故ECDとの共通点を探すなら、私はこの一言にたどり着く。孤高を貫くとか、そういうことではない。「何かに寄りかからない」ということである。

 例えば、自らが「移民」であることを宣言するときも。件のナイキCMに対して違和感を表明するときも。自分の孤独の住所も、愛の住所も、ここ日本にあり、もうどこにも行く理由がないとつぶやくときも。傷口から逃れるように吐き出される著者の言葉は、時に無防備だが、何にも寄りかかっていない。

 

 特に、「移民」という言葉。法律的にどんな定義なのか、「クソほども興味がありません」とは言うが、もちろん、日本という国が、移民を必要としながら決してその存在を認めようとはしないことを踏まえての宣言だろう。

 政府や経済界が望む、「別の本拠地がある、いつかは帰ってくれる人」ではなく、誰が何と言おうと、「現に今、人生の本拠地として、ここで生きている人」を表すものとして、この言葉を可視化させ、意味を取り戻しているのだ。

 

 この取り戻しに象徴的なように、本書を貫くテーマは、広い意味では「移民」や「在日」も含む、差別用語の自己使用による「意味の取り戻し」であり、そういった文化を痛みの中で育んできたヒップホップへの愛情だ。

 だが、途中、かいつまんで説明される著者の修士論文によれば、日本のヒップホップにおいて、差別用語が使用されることはあっても、アーティスト自身と社会的スティグマとの関係性は明確でないという。それはおそらく、著者にとって、日本にヒップホップがないことと同義である。

 

 付け加えるなら、著者が選んだ「移民」という言葉の背景には、「在日」という言葉への引き裂かれた思いが複雑に重なり合っていることが分かり、途中、ページをめくる手が止まる。

 ダイバーシティとかインクルージョンみたいな言葉がふわっと流通する社会で、私たちが忘れてはいけないのは、「多様性」なるものは、あなたが認めて「あげる」ものではない、ということである。それは誰かにとっての「普通」であり、何の許可も承認も必要なく、ただ普通に、そこに存在しているものだ。

 だからこそ、MOMENT JOONの言葉はたとえ孤独でも、決して聞き手と、読み手と、断絶してはいないのだろう。あなたが望む限り、彼の言葉はそこにあって、世界へ開かれている。まだ見ぬ、誰かの切実さのために。

 

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著者:MOMENT JOON
出版社:岩波書店
初版刊行日:2021年11月26日