1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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中野好夫・新崎盛暉『沖縄戦後史』書評|戦後沖縄の揺らぎに耳をすます

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 同じ著者(新崎)の『沖縄現代史』(2005年)では、わずか33ページに圧縮されている米軍支配下の沖縄。その尺が、『日本にとって沖縄とは何か』(2016年)の段階になって69ページにまで戻った意味は、辺野古新基地に揺れる今だからこそ、改めて「復帰」の意味を問い直す必要があった、ということなのだろう。

 日本国憲法が適用されない忘れられた島で、軍政と対峙した民衆の闘いの歴史。あまりに特殊な、沖縄固有の経験。その痛みは、復帰によって簡単に清算されるものではない。「はじめに」でも言及されているように、それは「日本戦後史の虚構を写しだす鏡」にとどまらず、「日本戦後史の矛盾をするどくえぐりだす刃」でもあるからだ。

 

 では、その「矛盾」はいま、どれほど正されているのだろうか。

 

 政府高官が、沖縄県知事との対談で「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困ります」と言ってはばからないのだから、それはむしろ積極的に忘却されようとしているのかもしれない。その意味での沖縄戦後史とは、沖縄が本土に「忘れられたまま」復帰するまでの歴史とも言えるのではないか。

 だとすれば、復帰50年のいまを生きる私たちが、戦後生まれだろうと、復帰後生まれだろうと、平成生まれだろうと、この弾圧と抵抗の歴史を知り、日本戦後史の矛盾が「沖縄問題」にすり替えられてきたことを改めて記憶し、忘れないでいることそのものが、一つのアクションになると信じたい。

 

 と同時に、せめてもの時代の後知恵として、本書が指摘する過ちの構図には注意しなければならないだろう。優しい内地人を気取った「本土側の自己批判」も、一面的な「沖縄側の本土告発」も、ただそれだけでは十分ではないというのだ。米軍の横暴ぶりや本土の無関心ぶりをいったんは差っ引いた前提の上で、沖縄が常に一枚岩で抵抗運動を展開していたわけではない、ということに留意が促されているのである。

 とは言えそれは、沖縄内部の分断や対立、あるいは時に少なからぬ人々が経済合理主義的な判断に立ってきたことを批判するための免罪符にもなり得ない。本書の中から読み取るべきは、絶望的貧困の中から再出発せざるを得なかった戦後の沖縄で、あるいは「恒久的な軍事基地の建設それ自体が、沖縄経済復興政策としての意味をもたされていた」中で、その時々を必死に生き抜こうとしてきた人々の揺らぎであり、複雑さであるだろう。

 

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著者:中野好夫新崎盛暉
出版社:岩波書店岩波新書
初版刊行日:1976年10月20日