The Bookend

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

小川たまか『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』書評|沈黙は肯定ではない

 痴漢、性暴力、女性差別。本書がこれらの題材を扱って明らかにするのは、ジェンダー・ギャップ指数116位(146か国中)のこの痴漢大国で、「ほとんどないこと」にされている女性たちが、ただ普通に生きるだけのことがいかに困難か、である。

 

 そもそも、「ほとんどないことにされる」とはどんなことなのか。話の前提からすっぽりと抜かれ、まるっきり不可視化されてしまうことであり、あるいは、存在は認識されていながらも、その「沈黙」をいいことに恣意的に無視されている状態なのではないかと思う。

 このように一般化した表現であれば、最低限の感度を持つ人であれば、中身を読む前にもおおよその見当はつくかもしれない。だが、それは所詮、知識としての見当である。ここに書かれているのは生身の「痛み」だ。痛みは身体で感じるものであり、距離を取って勉強するものではない。

 だから、暴風のように荒々しく吹き荒れる暴力と、それを被らざるを得なかった痛みについて、丸ごと受け止める覚悟がなければ、最後まで読むことは到底できないだろう。少なくとも、そうでなければ最後まで読んだことにはならない。これはそういう本である。

 

 思い出したのは、上間陽子さんの書いた「生活者たちは、沈黙している」という言葉だ。そう、一時的な「沈黙」を理由に存在そのものが「ほとんどない」ことにされてしまう構図は、力の大きさが非対称な関係性の中で繰り返されている、差別の原動力のようなものではないだろうか。

 当然のことながら、沈黙は強いられているのであり、肯定を意味しない。本来、その沈黙の「向こう側」を聴き、知るには、相応の時間を要するはずだ。それをすべて無視し、沈黙を強いている側がその沈黙の意味すらも恣意的に解釈してしまう。それが地獄でなければ何なのだろう。

 

 本書はその状況に大きなクエスチョンを投じる一冊だ。「ほとんどないことにされている」ことの痛みと、痛みの中からそれでも、いや、「それゆえ」に、言葉を発しなければならない二重の痛みがひしひしと伝わってくる。

 風に飛ばされそうになっているようにも、風の中で力強く立っているようにも見え、あるいはとても寂しそうにも、逆に何かに祝福されているようにも見える惣田紗希氏のカバーイラストは、本書のそうした温度感をうまく表現していると思う。

 

 ジャンルを言うならエッセイになるだろう。題材となるのは、冒頭に挙げた直接の暴力のほか、多くの場合、日常生活におけるちょっとした――この表現が適切かは自信がないが――モヤモヤだ。

 「学術研究シンポジウム」に登壇していた老害おじさん。職場の男性上司とサシで飲むことになった友だち。性暴力と警察。広告。芸能人。男性保育士。シュノーケルを付けて女子水泳部の練習を水中で観察していた高校教師。性被害を書くことと、書かれること。女性が働くのは職場でチヤホヤされたいからだと持論を述べる男性社長。おっさんがプロデュースする女性アイドルの歌詞。男友だちがグループLINEに投稿した「女が浮気されないための10か条」などなど。

 よくもまあこんなに見つけて来たな、という感じは全然しない。むしろ、話題を選別する必要があるほど、これらのモヤモヤはありふれているのだ。しかも、ありふれていながら、放置されている。だから、誰かが一つ一つ指摘しなければ「ほとんどない」ことにされてしまうのだ。

 著者はそうしたモヤモヤを流さず、一つ一つ集めて分析し、批評する。逃がさずに全部やる。徹底的にやる。「沈黙」は肯定と取られてしまうことを、少なくともそういった都合のいい解釈で生きている輩たちがいることを、著者は知っているからだ。

 

 それと同時に、ある種の加害性をめぐって、「おそらく誰にでもある」とか、「誰にでも起こり得る」という一般化が多くなされるのが、読みながらしっくり来なかった。

 が、ほとんどないことにされている誰かに「手を伸ばせなかった」ことの後悔が綴られたり、あるいは「性被害」を書かれることによってそれを普段は書いているライターとしての自身の暴力性と向き合ったり、そういった誠実さから来ているものだということを理解し、絶句してしまった。

 どうして「ほとんどないことにされている側」が、自らの加害性すら内省し、こんなにも何重に気を使わなければならないのか。「ほとんどないことにしている側」は、その間、いったい何をしているのだろう。裁判所の判決が明らかにするように、彼らはその無神経さゆえに法的にも免責されているのだ。

 

 「ほとんどない」ことにされている側から見た社会は、矛盾だらけで、控えめに言っても壊れている。沖縄からの言葉を借りるならば、「甘えているのはどっちだ」という話だ。構造的に優位にある者たちが、構造的に不利な立場にある者たちの「不利であるがゆえの沈黙」に、どうしようもなく甘えているのである。

 

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著者:小川たまか
出版社:タバブックス
初版刊行日:2018年7月30日