
生活史を読むと、いったい何を読んだことになるのだろうか。
その暫定的な答えが、仮に「人生」なのだとしたら、「人生」とはいったいなんだろうか。名もなき人びとの「人生」を読んで、いったい何を読んだことになるのだろうか。
「本なんて面白ければなんでもいい」というところで止まれない頭でっかちな自分は、岸先生の本を読みながら、そんな問いをいつからか持つようになった。
もしかしたらそれは、「生活史を聞き取ると、いったい何を聞き取ったことになるのか」といった調査者側の問いを、ただ真面目ぶって横取りし、内面化しているだけなのかもしれないが、しかしそうした問いに誘うだけの「開かれた豊かさ」みたいなものが、著者の『生活史』シリーズなどにあることも確かだ。
その問いに導かれるように、2014年の『街の人生』以来、著者の本を多く読んできた。個人的な話は、『東京の生活史』のレビューに書かせてもらったのでここでは割愛するが、「社会学=宮台真司」くらいのぼわっとした認識しか持っていなかった自分が、なぜそこまで岸政彦の社会学に惹かれたのかは、いま冷静に振り返ると謎である。
しかも、大学で専門的な勉強をしたわけでもないのに、著者の本を読めば読むほど、ある意味ではより一般向けであるはずの『ビニール傘』などの小説方面での活動よりも、むしろ著者が断片的に言語化を試みている、生活史の理論的な問題意識の方に興味を持つようになった。これも結構、謎である。
ただ、これだけは言える。
そこにはきっと、自分にとって「も」何かがあるのだ。
私はそれを知りたいと思うし、またある意味では「知らなければならない」のだと思う。
そんな謎に迫る一冊が、ついに出た。自分はなぜ、2014年の『街の人生』以来、岸先生の著作をこだわって読んできたのか。答えとまではいかなくとも、それに近いものを本書はくれたと思う。
こういう要約はミスリードになってしまうかもしれないし、それが社会学的にどのように妥当なのかは私にはわからない。が、まずは思い切ってそのまま書いてみよう。質的社会調査における生活史調査とは、「社会をいちばん遠回りで理解するための方法」なのである。
もちろん、誠実さだけで学問や調査ができるほど甘い世界ではないのだろう。だが、本書全体から伝わってくる、誠実さという言葉以外で表現することのできない、この微かなぬくもりのようなものはなんだろう。年単位での遠回りを厭わない、この眼差しはどこから来るのだろう。
それは、例えば「誰一人取り残さない」などと威勢よく言ってしまうよりも、もっともっとずっと手前にある、覗き見的な好奇心でもなければ、上からの施しのような善意でもない、「他者に対する関心」として、まずはそこにあるのだ。
いきなりぶち上げてしまったので急いで補足しておくと、著者・岸政彦と、気鋭のフィールドワーカー6人との対談集である本書に、そのようなはっきりと割り切れる、結論めいた言葉がバンバン出てくるわけではない。むしろ、「多分こっちの方で合ってるんだけど、あれえ、どこだっけなあ」みたいな、おおよその当たりを付けたくらいの問答がぐるぐると続いていくイメージの方が近いと思う。
だが、まさしく著者らの聞き取りの方法論においてしばしば重要視されているように、語りがそのまま残されたような対談原稿からは、ヒントになるようなフレーズがふらっと飛び出してくる。収録順などはいったん無視してしまうが、「生活史を読むと何を読んだことになるのか」という問いで本書を読もうという人にとってもっとも示唆があるのが、おそらくは丸山里美氏や石岡丈昇氏との対談ではないだろうか。
著者は「行為選択の歴史」を人生と呼んでいるが、だとすれば「人生のままならなさ」のようなものを間近で描いてきたのがこの二人ではないか。
その時々の場面場面では、もしかしたら、いろいろな選択肢が論理的にはあったのかもしれない。おまけに、世間の人が「普通こうするでしょ」みたいに表現する道からは、大きく外れてしまっているのかもしれない。
だが、そんな選択肢は本当にあったのだろうか? 少なくともその人(調査対象者)にとって、人生は「いま生きているその一回」でしかないし、現在地から振り返ると、結果的には自分がその都度選んできた「この一本道」でしかないのだ。そういうことって、あるのではないだろうか。
人生を聞き取りによって、あるいは参与観察によって共にたどっていくなかで、その「ままならなさ」を、あるいはその「これでしかなかった」感覚を、少しでも「わかる気がする」ものとして記述していくこと。それが二人にとってのフィールドワークであるように思った。
それでは情緒的すぎる、というのであれば、次に齋藤直子氏との対談を見てみよう。家庭内対談というユニークなセットでありながら、「生活史調査をすると何を調査したことになるのか」という問いに、おそらくはもっとも直接的に答えている回である。
そこでは、「何かがそこに、確かに実在している」という手ざわりのようなものが確認されている。「どういうこと?」と問われるかもしれないが、ならば逆に問おう。あなたは、「差別」というものがこの世に存在することを証明できるだろうか。「格差」なら、どうにかすれば測れそうな気がする。でも、「差別」となると案外難しいとは思わないだろうか。
この対談では「見えない壁に当たる」という言葉で表現されているが、何人もの生活史を集めていくと、ある種の類似した経験の集合、というか、「それ以外では説明のつかないこと」にしばしば行き当たるという。齋藤直子氏の専門分野で言えば、「結婚差別」というものが確かにそこに存在しており、それがある集団とそれ以外とを決定的に分けてしまっていることを、目の当たりにするのだ。
そういうことを言うと、「なら、他の集団と比較しないの?」とよく言われるそうだが、差別の只中を生きている人を前に、その言葉はあまりにも軽く響く。比較分析とか、科学としての再現性とかではなく、それ以前の圧倒的な実在性というか、繰り返しになるが、「それ以外では説明のつかないこと」がそこにあることを、生活史調査は証明しているのだと思う。
何を書いているのか、自分でもだんだんよく分からなくなってきた。となれば、次は著者にとって盟友でもある打越正行氏と上間陽子氏の対談を見てみよう。
このブログでもすでにお馴染みのお二方だと思うので研究概要の紹介は省略するが、ここで語られている、調査や調査対象者らに対する思いや、自著での文章やメディア越しに伝わってくる人柄も含めて改めて浮かび上がってくるのは、理論や方法以前の、まさしく「調査者の人生」そのものである。
例えば著者は、参与観察によって沖縄の暴走族のその後の人生を追った打越氏の仕事を「相手の10年を聞くために、自分の10年を使っている」と表現しているが、まさしく、他者の調査のために自分の人生を丸ごと使っている人が存在している事実に、改めて、何を受け取ったらいいのだろう。
自分が言葉を失ってしまったのは、打越氏がたどり着いたこの時点での結論が、「選択肢が少ないんじゃなくて、選択肢はないんです」だったということだ。「行為選択の歴史」が人生なら、そこから選択肢を奪うものが、広い意味での暴力である。この気付きは、上間陽子が支援施設「おにわ」で大事にしているという、「どんなに小さなことでも自分で決める練習をする」ということと通底しているのだと思う。
「力がない場所に置かれる」ということがどういうことなのかを、この二人の調査は誠実に描いてきた。そこで起きていることを「知ってしまった」、「聞いてしまった」ことの、その先にあるコミットメントが、ここでは「調査する人生」と呼ばれているのだと思う。
ここまであえてこの言葉を使わずにきたが、もちろん、本書の中核にあるのは著者がいろいろなところで紹介している「他者の合理性理解」である。
見ず知らずの他者がその人生をどのように生きてきたのかを知って、「そういう考え方になるのもわかるかもなあ」と、僅かでも心を寄せること。そのための方法について、おそらくは社会学を志す学生に向けて書かれたのがこの本だ。
その意味では、本来は『質的社会調査の方法』とセットで厳密に読まれるべき一冊だろうし、あるいは最後の朴 沙羅氏との対談が、「歴史の確定」というところに学問的な重きを置いている点で落としどころが著者と少しずれていたり、あくまで議論の材料が足された試みだと受け取るべきなのだろう。
おまけに、一般書として変な勢いがついてしまうことを警戒するような序文があったりと、これを何かしらの「答え」として受け取ってしまうことへの抵抗感は最後まで拭えない。それでも、こう思わずにはいられないのだ。この本で繰り返し語られていることを、もっともシンプルな言葉に還元するなら、「知りたい」ということなのではないだろうか、と。
「分断された社会は嫌だ」という願いは、今のネット世論の水準で言えば、それ自体がすでに政治的なものとして分類されてしまうかもしれない。だが、分断の根っこにあるものは、もしかしたらもっとソフトな、他者への「気遣いゆえの無関心」とでも言おうか、「他者の他者化」と言うべきか、微妙な膜のようなもので隔てられた人と人との距離にあるかもしれないのだ。
結果とすればこれが最後の仕事になってしまった打越氏が話したような、「分断の理由や背景を書くことで、分断とは異なる社会に近づけるように」というところまでを、ここから望みうるのかは私にはわからない。だが、ここに収められた7人の言葉を読んでいると、せめてお互いを知ろうとする社会であって欲しいと、未練がましく思うのだ。
もう一度書いておくが、この本を読んで、自分がなぜ、2014年の『街の人生』以来、岸先生の著作をこだわって読んできたのかがわかった気がした。それ自体がいつか希望へと転じていくような、他者への眼差しのあり方が、ここにはあるのだ。それをいちばん遠回りで、人生をかけて体現している人たちがいる限り、勝手に絶望してはいけないのだと思った。
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著者:岸 政彦
対談:打越 正行、齋藤 直子、丸山 里美、石岡 丈昇、上間 陽子、朴 沙羅
出版社:岩波書店
初版刊行日:2024年11月28日