Trash and No Star

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中谷剛『ホロコーストを次世代に伝える』書評|二重の意味での部外者として

 著者・中谷剛氏は、ホロコーストの歴史にとって二重の意味で部外者である。つまり、「戦後生まれの」、「日本人」だという意味で。

 もちろん、そんなことは本人が一番わかっていて、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館における日本人初の(そしておそらくは今も唯一の)公認ガイドを務める立場にありながら、「戦後生まれで日本人の私はアウシュビッツの被害者に同情はできても、彼らの本当の痛みはわからない」と書いている。正直な言葉だなと思う。

 裏返せば、「歴史の継承」という21世紀になってますます深刻化する問題に、著者はキャリアの始まりから一貫して取り組んできたのだと言える。

 だから本書は、560円の廉価なブックレットとしてはマストであろう、「ホロコーストの歴史を平易に伝える」という目的に加えて、「当事者ではない人間が歴史をどのように受け取り、つないでいくか」という問いをも自ら引き受けているのだ。数時間で一気に読めてしまうが、その後に残るものは重い。

 

 そんな本書で、淡々と、だが確固たる意志で繰り返し強調されているのは、ヒトラーが、少なくとも形式上は「合法的に」ドイツの統治権力を独占したことである。

 もちろん、当時の低迷するドイツ社会で、民主主義への諦めや反感が高まった機運に乗じてこそ、ヒトラーの独裁は成立し得たのだが、「ヒトラーみたいなやつが出てこないように、民主主義をしっかり守っていかなきゃね」みたいな一般化された教訓では、やはり弱いと言わざるを得ないのだ。

 おまけに、「多数派が勝ち、少数派が負ける」、原理的にそうなっているのが民主主義というものであり、その弱点は隠しようもない。「ただあるだけ」では不十分な、少数派を抑圧し、その反動からはヒトラーの登場をも許容したこの統治制度をそれでも信じながら、どのようにホロコーストを防ぎ、歴史を後世へとつないでいくのか。

 差し当たり本書の問いに答えるなら、歴史を学ぶこととは、何かを覚えたり、聞いたり、忘れないでいたりするのと同じくらい、民主主義を守るための絶え間ない「実践」であるべきなのだろう。「その価値観を支持する気があるなら、それが名ばかりで空洞化しないように支えていかなければならない」と、著者は強く求めている。

 

 これはやや意外な組み合わせだったのだが、収容経験者のスタッフも周りにいるなかで、二重に疎外された著者をポジショナリティという点で勇気づけたのは、沖縄からやってきた元ひめゆり学徒隊の視察団だったという。

 今でも検索すると関連記事が多数ヒットする、2003年9月の訪問だ。『私のひめゆり戦記』の著作で知られる宮良ルリ氏らが、まさに「歴史の継承」という観点で、アウシュビッツにおける著者の実践を確かめに来たのである。

 

 著者は最初、彼女らがどのような団体かを知らずにガイドを始めたというが、結果としては、ある地獄からの生還者たちを相手に、別の地獄の様子を語って聞かせていた、ということになる。

 著者の説明を聞いて、「話の内容に対して、どこからかプレッシャーを感じることはありませんか?」と尋ねた視察団のメンバーがいたという。いろいろなものが圧縮された、両者の間でしか共有できない言葉だが、勝手に想像するなら、どこかに「モデル被害者の理想的な語り」のようなものがあって、その距離を埋めるよう、どこからか抑圧や規範意識を感じないか?という意図だと思われる。

 その場では反射的に否定するにとどまったということだが、結果的には、著者のポジショナリティの急所を突いた鋭い問いでもあったのではないか。二重の部外者として、どんな立場から何を語るのか。当のひめゆり視察団は、 その忘れがたい問いを残したまま、「戦後生まれの日本人が欧州のことを伝えているのだから、沖縄の若い人だってできる」と納得して帰って行ったそうだが。

 

 沖縄戦と、ホロコースト。答えを急ぐ前に、ここで指摘しておくべき共通点があるだろう。あるいはすべての暴力がそうかもしれないが、「加害者は黙ってしまう」ということだ。場合によっては都合よく書き換えてしまうことさえある。

 ならば被害者が傷を抱えたまま語るしかないわけだが(そうしないと「なかったこと」にされてしまう)、それも限界ということになれば、あとは第三者がやるしかない。

 そう、まだ100年も経たない「すぐそこ」の過去で、人間が人間に対してどれほど酷いことをなし得たのか。それはいったい、どのような過程で可能になったのか。「人類全体の反省」という陳腐な教訓化の罠に注意しながら、結局は当事者ではない誰かが、その実相を伝えていくしかないのだ。

 

 そうやって言うのは簡単であるが、その難しさを物語る後日談がある。著者とひめゆりの縁は、そこで終わらなかった。2007年、「私たちは戦争体験をどのように受けとめ、引き継げばよいのか」をテーマとした大学のフォーラムにそれぞれ招待されたのだ。

 事の発端は、青山学院高等部の2005年の入試問題ひめゆり学徒隊が取り上げられたことである。ある問題文章の中に、元学徒による沖縄戦の語りを聞いた高校生の「私」が、「退屈で飽きてしまった」と打ち明ける場面が含まれていたのだ。

 沖縄戦に関する本をほんの一冊でも読めばわかるように、それらの「退屈な」言葉は、何十年もの沈黙を経てようやく紡がれたものである。そして、痛みを堪えながら何度も何度も語られたものである。沖縄の人々からの猛反発を受けたのは当然だろう。切れば血が出る言葉というものがこの世にはあるのだ。

 問題文章の一人称「私」が何者なのか、いまネットに残っている情報だけではわからなかったが、いずれにせよ、東京の中学生が本土日本と沖縄の権力関係をどこまで理解しているか不明な中、高校入試として出題する内容としてはいささか「擦れた」内容であり、知性を装った大人の諦念に中学生を付き合わせるようでたちが悪い。

 

 ただ、そうした前提は共有しつつも、問題の出題意図自体は全て否定できるものではないと思う。

 年々、戦争を知る世代が少なくなっていること。あと20年もしないうちに(つまり、2025年の今日のことだ)、戦争の体験者から直接の語りが聞けなくなること。そうした状況の中で、戦争の歴史はどのように引き継がれていくべきなのか。「言葉」はどう受け取られるべきなのか。そうした問題意識は読み取れる。

 そう、ひめゆりの悲劇を任意に忘却しうる特権がここでの「私」や本土日本にあることをいったん措いておけば、ここにある種のリアリズムがあることも確かだろう。実際、歴史教育のジレンマについては、例えばCoccoのエッセイ『想い事。』でも取り上げられていたし、目取真俊の小説『眼の奥の森』でも主題の一つになっていた。

 だが、自分が「受け取れなかった」ことの責任を語り手に転嫁させておいて、その解決を「これから受け取る側」に求めることの暴力、その立場の圧倒的な非対称性への自己反省というものが、ここには全くない。戦争の悲惨さと、平和の大事さ。あるいはそれを伝える語りの「ベタさ」について、もっぱら「消費」する側から批評する。その構図の言いつくしがたい醜悪さ。

 

 話が大きく逸れてしまったが、自分がこれまで関心を持って学んできた2つのものが思いがけず交差したことに驚きつつ、必然のようなものも感じている。

 多数派の人々が、少数派に降りかかった陰惨な歴史を「気にせずにいられる」ことの特権に、まったく無自覚なこと。そのことに対して、少数派の人々に何ら責任はないこと。そうした暴力にさらされることに加えて、歴史を記憶し、つないでいくことと、民主主義を守る「実践」とがつながっているという点でも、沖縄とアウシュビッツは深いところで共有するものがあるのかもしれない。

 そう、「語りのリアルさ」とか、「話の説得力」という点で、当事者を超えることはできないだろう。だが、別の形での「実践」を担う何者かにはなれる。「当事者しか語れない」という語りの特権性のようなものがあるとしたら、その断絶を超えていくためのヒントがそこにあるのではないだろうか。

 

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著者:中谷剛
写真提供:山本耕二
出版社:岩波書店岩波ブックレット
初版刊行日:2007年10月5日