The Bookend

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池宮城秀意『戦争と沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(3)

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 私の通っていた高校には、沖縄への修学旅行がなかった。過去にはやっていたらしいが、ある時廃止にしたということだった。進学に向けて、沖縄で平和教育「なんか」している場合ではないと、教員たちは考えたのかもしれない。

 たしかに、もし沖縄行きがあったとしても、私がそこで何かを受け取れた保証はない。戦争は悲惨、平和は大事、そういうことを「知っているつもり」になっていただろうから。しかし、本書を読み終えて思う。沖縄には、やはり行くべきだったのだ。

 

 ジュニア新書らしくまさに修学旅行を念頭に置いたような一冊で、導入はひめゆり学徒隊の手記から。爆撃の轟音、兵隊の怒号、遺体の肉を食べるウジの音。頭部がなくなってしまった学友の手が、まだ自分の手をしっかりと握っている。戦場にいたのは、従軍看護婦として送り込まれた16、17歳の少女たちだった。

 その後も続く、引用するのもはばかられるような痛ましい記憶の数々。「すでに戦争といえるものではなかった」とさえ言われる南部戦線で紹介されるのは、防空壕に避難していた9歳の少年だ。母親が死んでしまい、食べるものがなく泣き止まない生後8カ月の弟に、息絶えた母親の乳を飲ませたという逸話は、涙なくして読めるものではない。

 

 内容としては、琉球王朝の成立から日本復帰までを通史的に学べる構成にもできたはずだが、あえてこうしたのは、先に取り上げた『沖縄のいまガイドブック』の中で「ガマショック」と呼ばれていた効果を狙ったものだろう。まずは戦場に行ってもらおう、というわけだ。

 しかし、自身も南部戦線のサバイバーである著者が綴る文章は、そこに余分なメッセージを付け加えるようなことはしない。むしろ淡々と、一定のテンポで流れていく。そうした一種の謙虚さは、一方的な情報の伝達ではなく、読む者に何かを考える時間を与えるはずだ。

 

 一般の市民から見た、日本軍やアメリカ軍の姿を、圧縮された高度な言葉ではなく、一般の市民の言葉によって描くこと。そうした態度は、薩摩による圧政の時代から、「沖縄住民が収容所から出身市町村へと右往左往している間に、アメリカ軍は沖縄のいたるところに巨大な軍事基地をつくりあげて」いた戦後の描写まで、一貫している。

 見えてくるのは、琉球が、そして沖縄が、常に外部からの暴力によって利用され、翻弄されてきた長い歴史でもある。 大人の学び直しにも薦めたい。

 

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著者:池宮城秀意(いけみやぎ・しゅうい)
出版社:岩波書店[岩波ジュニア新書]
初版刊行日:1980年7月21日
改版刊行日:2012年2月10日