1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』書評|特集「ロング・ホット・サマー」6冊目

 元々がヒップホップへの関心からスタートしているこの「ロング・ホット・サマー」特集だが、ようやく音楽がメインの本にたどり着くことができた。

 大人が読む入門書としてもおなじみ「岩波ジュニア新書」からの一冊で、ヒップホップが扱われるわけではないものの、広い意味での「歌」としての民話や物語を含み、労働歌や宗教歌、ブルーズなどの古典を、当時のアメリカ黒人の経験や心情に照らしながら解説していく丁寧な内容だ。

 

 黒人音楽のもっとも熱い部分を脈打つのはやはり、奴隷としての過去だろう。マイケル・ジャクソンの有名曲にも見い出せる、「ぬれぎぬ」や「罠」の感覚は、白人によるリンチや一方的な処刑の恐怖に通じているし、真逆の言葉に含ませた「意味の二重性」は、白人たちに真意を悟られぬよう工夫しながら思いを共有してきた結果として理解できる。

 特に後者、「意味の二重性」は、長く人種差別を経験してきた人々の知恵でもあろうし、白人が信じる倫理や規範への抵抗でもあったのではないか。その極たるものがキリスト教だろう。未完の小説に「*1神を信じろだって! これまでずっと信じていたさ。それが何の役に立つのか」と書きつけたのは、ダグラスの元相棒として知られたマーティン・R・ディレイニーだった。

 

 しかし、だからといって強制された宗教が黒人たちにとって完全に役立たずなものだったかと言えば、おそらくそうではない。アメリカ黒人たちの生み出した音楽を聴いていると、そこには人間の力を超えた「大きなもの」を信じ、祈り、暗闇の中で一対一で対話をしているような感覚が間違いなく存在している。

 一方ではキリスト教とともに生きながら、また一方ではそれを否定し、悪魔と手を組みながら生きざるを得ない黒人たちの歌。だからこそ、そこにはひねりの利いた規範意識がある。自分たちが悪魔と同じく天国を追い出され、神に見放された存在であるならば、そういった立場を強いる白人たちの作った「法律」なんてものが正義であるわけがなく、勤勉さも正直さもクソ食らえ、という感覚だ。

 

 それはとてもヒップであり、こう言ってよければこれこそがまさに「アメリカ的」であると私は思う。「魂をゆさぶる」という言葉の意味はおそらくここにある。もっと同時代のポピュラー音楽なども積極的に取り上げられたのでは、と思わなくもないが、あくまで自分は入り口に立つ案内人なのだという態度が清々しい一冊だ。

 

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著者:ウェルズ恵子
出版社:岩波書店[岩波ジュニア新書]
初版刊行日:2014年2月20日

 

【参考】本書で紹介されているいくつかの楽曲です。是非!

*1:荒このみ『黒人のアメリカ』p.65

荒このみ『黒人のアメリカ』書評|特集「ロング・ホット・サマー」5冊目

 この短いタイトルを見て、本書が「アメリカ黒人に関する文芸評論」だと想像できる人がどれだけいるだろう。むしろ表紙の紹介文を読んで、『アメリカ黒人の歴史』のような通史ものを期待する人もいるのではないか。今や重版されていないようだが、タイトルの潔さが一般読者にはマイナスに働いたのかもしれない。

 だが、理知的であり激しくもある著者の文章を最後まで読み終えると、なるほどこれはよく考えられたタイトルだと納得する。「白人の生きるアメリカと黒人の生きるアメリカは別だ」という含意がそこにはある。もちろん、両者は分かち難く関わり合っており、結果的に「白人のアメリカ」を考えることにもなるのだが。

 

 黒人は白人によって、あるいは黒人自身によってどのように語られてきたのか。また、アメリカという国は、黒人たちによってどう描かれてきたのか。それを南北戦争の前後という、もっとも緊張感に満ちた時代の作品を取り上げることで本書は厳しく問うている。

 題材は幅広く、今では入手困難なものも多い。その一つ一つをここで取り上げるだけの余裕はないが、著者が批判的に指摘するのは、当時白人たちに歓迎されたヒット作品が、実は黒人の奴隷的地位の自明化や、キリスト教をはじめとした白人文化への同化を前提にしたものだった、ということである。

 あるいは、かつてフレデリック・ダグラスが自らの所有者を明かした自伝を書くまでは元奴隷だと信じてもらえなかったように、今や大ベストセラーである『ある奴隷少女に起こった出来事』も、当時は白人作家による創作だと信じられていた。どうしてこのようなことが起こるのか。

 著者は、現実に黒人のなした英雄的行為が白人ほどには称えられないことにも照らして、かつては家財同然だった「もと奴隷の黒人が、白人と同等のアメリカ市民になることへの『恐怖』」を反映していると分析している。そのような「白人のアメリカ」において、果たして「共生」は可能なのだろうか。

 

 当時は、解放された黒人のアフリカへの「送還」が論じられていた時代でもあった。白人も、また時には黒人までもが、その「解決策」に現実味を感じていた。しかし、こうした形での「解決」は達成されなかったし、「共生」が実現したわけでもない。

 それでも、アメリカという国に託された理想のようなものとともに、本書は終わる。そうした期待自体、もはや単なるノスタルジーなのかもしれないが。

 

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著者:荒 このみ
出版社:筑摩書房ちくま新書
初版刊行日:1997年12月20日

本田創造『私は黒人奴隷だった』書評|特集「ロング・ホット・サマー」4冊目

 フレデリック・ダグラス。元逃亡奴隷にして、奴隷制廃止主義を貫いた活動家の扱いは、アメリカの黒人解放史を通史的に追うような本の中でも決して大きくはない。

 事実、パップ・ンディアイの『創元社本』では、「南部の白人や、無関心を決めこむ北部の白人にまで影響を与えることはできなかった」という、いささかフェアではない批評が加えられるほかは、晩年に出版された回顧録がベストセラーになったことが紹介されるにとどまる。

 中公新書の『上杉本』でも、記述はわずか2か所だ。アメリ奴隷制反対協会において「雄弁な語り部から運動に入り、指導者になった元奴隷」の活動家の一人として紹介されるだけで、あとは南北戦争の意義を「必然的に奴隷制に対する戦争になる」と予見していたことが短く引用されるに過ぎない。

 その点、本書にあふれるダグラスへの愛は桁外れである。著者は、岩波新書の『本田本』で、アメリカの歴史家の言葉を引く形で「ジェファソンやリンカーンの名前と並びおかれて然るべき」とまで述べている。

 

 そこに至るまでの道のりを出生から辿っていくのが本書だが、総じて思うのは、ダグラスは「言葉の人」だった、ということである。あるいは「批評の人」だったと言った方が正確かもしれないが。

 特に、1852年の「7月4日演説」に込められた容赦のない毒と皮肉は、単なる道徳的説得のそれではなかった。逃亡奴隷法が全米を揺さぶった、1850年代というもっとも緊張した時代に、独立記念日は「あなた方のものであって、私のものではありません」と、白人が大半だった聴衆に向かって断言したのだから。

 

 おそらくは祖母譲りなのだろう、神様の視点から見れば誰が正しく、誰が間違っているかは裁判をするまでもなく自明、という超越した感覚。それが憲法の知識や、「生まれてはじめて、自分が本当に人間なのだということを、しみじみと実感」できたというイギリス生活の経験などと融合しながら、ダグラスを運命の分岐点へと導いていく。

 そして南北戦争の最中、ダグラスはその磨き上げた言葉の力を、リンカーンを痛烈に批判し、また全力で励ますために用いた。その成果とまでは単純には言えないだろうが、しかし一貫して真実を語り続けたダグラスに応えるかのように、南部に対する最後通牒だった奴隷解放予備宣言は、1863年の1月1日、大統領の署名を得て奴隷解放宣言として正式に公布されるのだった。

 

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著者:本田創造
出版社:岩波書店[岩波ジュニア新書]
初版刊行日:1987年8月20日