1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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【復帰50年】『ちむどんどん』はこのまま、復帰前後の沖縄を無色透明に描き続けるのだろうか

 唐突な記録映像の挿入によって、それは描かれた。いや、あれは「描かれた」とすら表現し得ない暴挙かもしれない。「戦争によって失われた領土を、平和のうちに外交交渉で回復したことは、史上きわめて稀なこと」と自負してやまない政府高官らの万歳三唱。50年前、1972年5月の沖縄返還である。同じ日の那覇で、沖縄県知事が「必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとはいえないことも事実であります」と述べたことなど、このドラマの世界における沖縄とはおよそ無関係のように思える。

 

 別にその編集センスを意地悪く追及するだけの理由はないのかもしれない。フィクションとしてのドラマを政治的にだけ批判しても仕方がない、そう考える人もいるだろう。そもそも、ついこの間まで単なる観光客であった私にこのような批判を行う権利はないのだろうし、実際、復帰がどうなろうと自分たちの生活には関係ない、と考えていた人たちだっていたのかもしれない。

 というか、このドラマを制作している人々にとって、沖縄返還はすでに年表に書き込まれた単なる歴史的行事なのかもしれず、だから何の悪意も含意もなく、ただそのように描いただけなのかもしれない。だがそれは、結果として復帰の片面だけを描いたことにほかならず、昨今巷で演出されようとしている沖縄の本土復帰の「お祝いムード」に水を差さないための政治的配慮として受け取られたとしても文句が言えないのではないか。

 

 今回の「復帰」の描写によって分かったことがある。少なくともこの『ちむどんどん』というドラマにとっての沖縄とは、要するに舞台装置であり、背景なのである。自分はそう受け取った。

 いやそれでいいのだと、フィクションに政治を持ち込むなと、あなたは言うだろうか。であれば私は、政治を真正面から無作法に持ち込んだ上で、むしろ物語を動かしていくダイナミズムに利用してこそのフィクションだろうと言いたくなる。要するに私が言いたいのは、フィクション「だからこそ」どのようにも描写できるはずの出来事を、どうしてこうも物語と大きく切り離して描くのだろうか、ということである。

 

 ヒロインが属する比嘉家を見舞う困難の数々は、当時の沖縄に照らして社会的・構造的に合理的に説明可能なものというよりも、あくまで個人的なもの、偶然的なものとして準備される。父親は「たまたま」心臓発作により急死し、長男は「たまたま」現れた詐欺師に一家の全財産を渡してしまう、だからこそそこを突破していくきっかけもどこまでも個人的で、偶然的なことでしかあり得ない。

 そこに残るのは結局、「舞台が沖縄でなくてもよかったであろう、個人的な困難を個人的な努力で克服し、沖縄の貧しい一家が幸せを追求していく」という、非常に小さな回路で回る小さな物語でしかない。ある意味では題材の宝庫でもあるはずの「復帰前後の沖縄」を舞台にしているにもかかわらず、である。結果、比嘉家には、厳しい状況でも家族で助け合って幸せに生きる、というイメージが軽薄なほど簡単に託されてはいないだろうか。ここまで来れば、ゆいまーるの精神という言葉まであと一歩だ。

 

 私は、ドラマの企画が発表された昨年、ざわめくツイッターのタイムライン上にこんなことを書き込んでいる。

 

 

 ここに「もちろん」と書いたのは言うまでもなく牽制であるが、結果、「それ」は描かれていない。もちろん、「今のところは」ということだが、さしたる理由もなく、復帰の日・5月15日をヒロインの東京への旅立ちの日に重複設定し、このまま「単にヒロインの出身地が沖縄であるだけのいち上京モノ」へと移行していくかに見える『ちむどんどん』からは、「それ」がいつかはきちんと描かれるのだろうと期待することすら難しく思わせるような、割り切りにも似た空気がすでに漂っているように思えてならない。

 

 なるほど、そういった沖縄的題材をドラマの仕掛けに「使わないこと」こそが、逆に沖縄に対する誠意なのだと言ってみることはできるだろう。

 あるいは、「朝ドラ・コード」とでも呼ぶべき自主規制のルールでも存在するかのように、教員である長女も含めた登場人物たちが沖縄の復帰について一切話題にしない不自然さが不気味である一方、朝のお茶の間で許される範囲でいろいろなものに配慮しながら頑張っていると擁護することも完全に不可能とまでは言えず、事実、サトウキビ畑のシーンでは二度も米軍機のものと思しき爆音を響かせたではないかと、言ってみることはできるだろう。

 

 しかし繰り返すが、1964年の沖縄で、ヒロインとその家族たちを見舞う貧困(借金苦)は、あくまで父親の急死による「個人的なもの」であり、借金に沈みかけた一家が頼るのは、東京の遠い親戚ではなく、「家族の助け合い」や「幸せになるという決意」なのだが、もっとも苦しんだであろうその後の7年を一家がどう乗り切ったのかは一切描かれていない。

 要するにここでの貧困とは、「朝ドラ・コード」の範囲で安全に表現される困難の象徴であり、手軽に苦労を生み出すための無色透明な仕掛けであり、逆に言えば決して政治的なものであってはならないのである。その安全で無色透明な困難により引き立てられる一家の純粋さは、やはり安全にして無色透明であり(ヒューマニズム!)、まあ朝ドラならこんなものかと自らを虚しく慰めるほかない。

 

 いや、この際だからはっきり言おう。『ちむどんどん』は、少なくとも復帰50年のタイミングで放送されるべきドラマではなかった。

 結局のところ、このドラマは、本土で平穏のうちに暮らす人びとが、意識的であれ無意識的であれ、というか無意識でいられるほど徹底的に管理された構造のあまりにも特権的な立ち位置から、沖縄のたどってきた歴史や、今なお押し付けられている数々の問題について、忘れたまま、あるいは知らないことすら知らないでいることを許されたまま、自らが享受している平穏をただの少しも差し出すことなく消費可能な代物でしかない。そのことをただただ残念に思う。

 

【参考文献】

大田昌秀『新版 醜い日本人』書評|日本にとって沖縄とは何か - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

阿波根昌鴻『米軍と農民』『命こそ宝』書評|沖縄からは「安保」がよく見える - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

中野好夫・新崎盛暉『沖縄戦後史』書評|戦後沖縄の揺らぎに耳をすます - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』書評|海を受け取ってしまったあとに(1) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年 』『ヤンバルの深き森と海より』書評|海を受け取ってしまったあとに(12・13) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

目取真俊『眼の奥の森』書評|死者は沈黙の彼方に

 この救いのない物語をいったいどのように受けとめたらいいのか、見当もつかないまま最後のページをめくり終える。ラース・フォン・トリアーの映画のよう、と言えば、伝わる人には伝わるかもしれない。苛烈で、執拗なまでの暴力描写がもたらす閉塞感と没入感は本作でもすさまじい。

 

 物語の起点となるのは、沖縄戦の序盤ですでに制圧状態にあった沖縄北部の小さな島で起きた、米兵4人による少女暴行事件である。身体を抉られ、心的にも深い外傷を負った当時17歳の少女はその後、悪夢やフラッシュバックに苦しんだに違いない。やむを得ず家にこもり人目を避けて生きる中で、いつしか島民や家族からさえも差別され、何重にも排除される存在になっていく。

 そして、生まれつき不得意なことが多く、島民からも家族からも馬鹿にされてきた漁師の少年が、たった一人で米兵への復讐を決行する。それは著者の言う「最低の方法」よりもヒロイックな直接の復讐であり、島民の怒りを暗黙のうちに代弁するものとして描かれているが、逃走の現場を偶然目撃した島民によって少年の潜伏場所はあっけなく米軍へと密告されてしまう。

 

 本書は第一に、この少女と少年のあいだの、時空を超えた魂の交差を純粋に、半ば幻想的に描いている。

 が、しかし第二に、カメラを何度も切り替え、暴行現場に居合わせた別の少女や、暴行に加わった米兵、あるいはこの出来事を平和学習の一環として現代の中学生たちに語り伝える女性(被害に遭った少女の妹である)、さらにはその聴衆の一人である女子中学生、復讐を決行した少年に降伏を呼びかけた区長や従軍の通訳者など、語りの担い手を重層的に配置することで、著者に政治的に共感するだけでは到底支持し得ない多義性を含んだ作品でもある。

 

 思い出すのは、作中でも言及のある、1995年に米兵3人が小学生の女子児童に性的暴行を加えた事件のことだ。著者はこの事件をめぐって、『ヤンバルの深き森と海より』にも収録された論評で、85000人が抗議のために集った当時に立ち返りつつ、その後の沖縄が辿った道筋に失望を隠さない。いまも辺野古の工事現場で闘う著者が案じるのは、「23年前の事件の被害者やその家族は、いまの沖縄、日本の現状をどう見ているだろうか」ということなのだ。

 

 ここで考えたいのは、著者が直近の取材で口にしている「死者は沈黙の彼方に」という言葉だ。ここでの死者とは、永遠の沈黙を強いられし者たちの比喩的な総称だと私は考えるが、著者の文学的誠実さは、「沈黙を強いられし者たち〈への〉眼差し」を深めることではなく、「沈黙を強いられし者たち〈からの〉眼差し」を自らに、あるいは沖縄に浴びせることにあるのではないか。思うに、著者を文学的にも政治的にも駆り立てるのは、この「見られている」という感覚である。死者に、あるいは永遠の沈黙を強いられし者たちに。

 『沖縄「戦後」ゼロ年』でこんな話が紹介されている。上記の事件が発生した1995年当時、沖縄市にある高校に勤務していた著者は、教え子の女生徒から、「先生達は北部の少女のことで騒いでいるけど、近くの学校でこういうことがあったの知らないでしょう」といって、やはり米兵に襲われ、妊娠した近隣高の女生徒の話を聞かされるのである。彼女は堕胎し、そのことを隠したまま退学したという。著者はおそらく、この女生徒にも「見られている」。少なくとも、見られる「べき」だと考えている。そうでなければ「戦後」は訪れず、「1995年」は終わらないのだ。

 

 これを踏まえれば、本作で描かれているのは、まさしく「永遠の沈黙を強いられし者たち〈からの〉眼差し」である。そしてそれは、「暴力を受ける側の視点」を直接的に描くことを必ずしも意味しない。むしろ、暴行を受けた少女自身の視点が最後まで描かれないことによって、それぞれの登場人物が「見られている」感覚をそれぞれに内面化していき、行動を変えていく過程が何かを問うように描かれているのである。

 現実にあり得たかも知れない、あるいは実際にあったのかもしれない「語られなかった被害」が、内々に処理されることによって「公式の歴史」から切り離され、時間の経過とともに「誰かが語らなければなかったことになってしまう歴史」となっていくとき、少女の痛みはどのように分有可能か、ということが、ここでは争われているように思う。政治と、文学と、オーラル・ヒストリーのあいだで。

 

 とはいえそれでも、著者の主張はあまりに明確なように思える。本書が描くのは、オーラル・ヒストリーの継承による痛みの分有「不可能性」であり、実力行使も含めた政治による米兵犯罪の解決「不可能性」である。だからと言って文学が勝利しているはずもないが、一旦は不可侵なものとして描かれた少女や少年の物語が、やがてどこまでも排除されていく様は、暴力的なアイロニーと言ってもいい。

 特に注目すべきは、時間を現代に移した、中学校での平和学習の描き方だろう。被害にあった少女の妹でもある語り手の女性は、「こういうことをみなさんに話すのはショックを与えるかもしれないけどね」と断った上で、なおためらいながら姉の身に降りかかった悲劇を語るのだが、いまを生きる若者たちにとって、そんな話は一秒でも早く終わって欲しい年寄の戯言でしかないのだ。

 女性を唯一勇気づけることとなった、一番前の席で熱心に聞いてくれていた少女が、実は彼女が日々さらされている暴力(いじめ)の一環としてそのような振る舞いを強制されていたに過ぎないことを、語り手の女性は知る由もないのである。今まさに沈黙を強いられている少女に向かって、永遠の沈黙を強いられし者の痛みを語って聞かせるという、絶望的なすれ違い。

 

 念のため繰り返すが、賛否ある「陳腐な教訓」めいた終わり方も含めて、作品全体が巨大なアイロニーだと思う。無数の「眼差し」を、沈黙の彼方に追いやり、あるいはお金と交換してしまった人々に向けての。そして、それをただ傍観している人々に向けての。読者はこの悪意を、あるいは「眼差し」を、どう受け取るのか試されているのだ。



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著者:目取真俊
出版社:影書房
初版刊行日:2009年5月8日
新装版刊行日:2017年5月29日

 

※読後の衝撃が大きく、上限文字数を大幅に超過していることを申し添えます。

阿波根昌鴻『米軍と農民』『命こそ宝』書評|沖縄からは「安保」がよく見える

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 岩波新書に残されたこの2冊は、ウィキペディアによれば阿波根昌鴻という伊江島の「平和運動家」による闘争記であり、また著者自らの言葉を借りるなら「農民の、小学校しかでていない、明治生まれのものの体験談」である。

 基本的には、沖縄の戦後史に関心を持つ人への内容ではあるだろう。だが、むき出しの軍事力によって世界がこんなにも変わってしまった今、これらの本を読み返す第一の意味は、「戦争を一般化しないこと」にあるとも言えるのではないか。

 どの戦争にも固有の原因があり、固有の加害者と犠牲者がいて、固有の「戦後」がある。どの戦争も悲惨だが、その悲惨さは決して同じではない。それを一緒くたにはできないし、するべきではない。

 そういうことを、自分が生き延びた戦争と、自分の目で見てきた加害者、あるいは被害者と、そして何よりも、自分がいま生きている「戦後」の現実を、できる限り具体的に語る中で描き出しているのだ。

 

 元々が開拓地であった伊江島では、ひどい貧困ゆえに「畑を買うために子どもや弟を売るのは普通のこと」だったという。そこに地獄のような沖縄戦が来る。多くの住民の命が失われた上に、戦後に待っていたのが米軍による土地の取り上げだったのだ。

 

真謝の復興と生活の安定は、これからというところでありました。もう戦争はわすれよう、平和でありさえすればいい、と思っていました。そこへ、戦争にも劣らない、いや戦争よりも大きい不幸が真謝の農民にのしかかってきたのであります。

 

 特に大きな衝撃が残るのは、戦後から復帰までの土地闘争を綴った『米軍と農民』の方だ。軍用地の確保を狙う、時に信じがたいほど狡猾で、時にただただ暴力的な米軍の所業を知ると、「戦争にも劣らない、いや戦争よりも大きい不幸」という言葉が決してオーバーなものではないことが分かる。

 実際、著者らの行動でもっとも有名なのは、1955年、沖縄本島での「乞食行進」であろう。農地を取り上げられた島の人々は、大半が栄養失調、その先には餓死のみが待つという状況では、「もう乞食する以外にはないのではないか」、それが彼らの達した結論だった。

 一方、復帰後をまとめた『命こそ宝』の方では、闘争相手が「日本政府」になっているが、底にあるのは復帰でなにも変わらなかった、という実感だと思う。「米軍は銃剣でわしらの土地を取り上げましたが、日本政府は法の力で強奪したのです」という言葉が本質をついている。姿かたちを変え、続いていく抑圧や暴力。

 

 その果てにたどり着いた、書名にもなっている「命こそ宝」というフレーズは、単に「戦争の残酷さ」や「命の大切さ」を呪文のように唱えるものではない。「その残酷な戦争は誰がどうしてつくったのか」という根本的な問いがセットなのである。

 そして、その大きな問いへの眼差しこそが、まさに命がけの、『沖縄現代史』で新崎盛暉が「捨て身の抵抗」と書いた伊江島の激しい闘争運動の中にあってもなお、著者らを反米的な憎しみだけには支配させなかったのだと思う。

 きっとそのせいだろう。著者は伊江島の闘いを表現する際に使われる「非暴力直接行動」という体系的な物言いに対し、当事者としての微妙な違和感を隠さず、「何より相手のことを考える闘い」という言葉で言い直すのである。

 

 そう、自分らは農民だが、土地泥棒たちには精神面で勝っている。そしてどちらが正しいかは神さまが知っているのだから、誰か一人でも抵抗を続けていればこちらの勝利である。そういった静かで誇り高い確信が運動の根っこを支えている。

 その確信があるからこそ、戦争の準備を進める米軍に対し、来るべき破滅の歴史的必然性を説く。彼らの「抵抗」は命がけで、捨て身でもあるのだが、より大きな視点から見れば「導き」でもあるのだ。まさに「聖なる農民」という言葉がぴったりだ。

 

 とはいえ、庶民の抵抗運動を英雄視するというカウンターカルチャー的な誘惑を、この2冊からはできる限り遠ざけておきたいし、またそうしなければならない、と思う。「生産が第一、たたかいが二番目」とあるように、彼らにとっての土地闘争とは、まさに「生きるための抵抗」であり、もっと言うなら「生き延びることそのものが最大の抵抗」であったとさえ思うのである。

 

 両書とも、前書きにあるのは市井の人々への眼差しだ。「みな、だまっています。真謝の農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした」。それは、上間陽子が『海をあげる』に書いた「生活者たちは、沈黙している」という言葉ともつながっているだろう。

 政治とも単純にはつながらず、ただ一人の怒れる庶民として、何度叩きのめされても立ち向かう。著者を突き動かしていたものは、きっとこの沈黙への眼差しである。沈黙は肯定を意味しない。真謝の、伊江島の、あるいは沖縄の沈黙は、その闘争と同じように激しいのだ。

 

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(写真左)
著者:阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)
出版社:岩波書店岩波新書
初版刊行日:1973年8月20日

 

(写真右)
著者:阿波根昌鴻
出版社:岩波書店岩波新書
初版刊行日:1992年10月20日