【映画・ドラマ】
(画像は公式動画からクリップした) ピーピーと安っぽい音を鳴らしながら、ロボットとも言えないような機械が配膳を行う夜のファミリー・レストランで、二人の男が何やら話し込んでいる。顔は随分とニヤニヤしているが、もちろん、それほど楽しい内容ではな…
(画像は公式サイトから) 児童文学は「やり直しがきく話」なんだと、岩波少年文庫の創刊60周年に寄せた『本へのとびら』(岩波新書、2011年)で宮﨑駿は語っている。ウォルト・ディズニーと同じく、多くの童話や児童文学を原作にしてきた宮﨑が、どのような…
それは愛についての映画であると、誰しもが思っている。愛と呼ぶほどの成熟がそこになかったとしても、それは暫定的に、やはり愛と呼ぶしかないのだと、誰しもが思っている。 だが、愛と呼ぶよりも実は破滅に近いであろうその報われない行為を指して、しかも…
多くの微笑みに彩られた映画である。何かが爆発するような笑いではなく、笑おうとするでもなくそれでもふと浮かんでくるような、それが微笑みであることすら認識される前の微笑み。自分がいまどのような表情をしているのかすら、わかっていない人だけが浮か…
(画像は公式Twitterから転用) 愛とは何だろうか。 私たちは、本当に誰かを愛し、誰かに愛されていると言えるのだろうか? 言いようのない気まずさに堪えかねて、ひとまず「イエス」と答えるとしよう。では、その愛とやらは、15段階でどれくらいの強さだろ…
2024年に映画館で観た映画を数えたら、以下の3本しかありませんでした。これでは年間ベストも何もなく、年末記事など書きようもない。「今年こそ映画館に行くぞ」とイキっていた年始の自分はどこに行ったのか。 また来年も同じことを繰り返すだけかもしれま…
(画像は公式サイトから借用) ここでもまた、「沖縄のこころ」のようなものが、仁侠映画を通じて語られている。もしくは、騙られている。だから多くの点で、『日本女侠伝 激斗ひめゆり岬』(1971年)に寄せて書いたことをここでも繰り返すことになると思う…
(画像は公式サイトから借用) 僭越ながら、「想像していたよりもはるかに良かった」と、まずは言わねばならないだろう。 実際、アメリカ占領下の沖縄が舞台で、藤純子が主演の東映仁侠映画と聞けば、その組み合わせの意外性に興味を引かれこそすれ、そこで…
誰にRTされるでもなく地道なアクセスが続き、想定外の読者に恵まれることになった、蓮實重彦『映画の神話学』に関するレビュー。 あるいはその前時代的な読み方をめぐって、映画狂の皆さんに嘲笑されていただけなのかもしれないが、個人的にはやはり、千葉雅…
これを『マッドマックス:フュリオサ』の後に観たくなったからと言って、クリント・イーストウッドの『許されざる者』が復讐劇の見本だなどと言うつもりは全くない。むしろ、やがて残忍な復讐劇となるべくよろよろと立ち上がるここでの殺しの物語は、当初、…
(画像は公式サイトから) もちろん、それほど悪い映画ではない。 あの『怒りのデス・ロード』において神話的クーデターを成し遂げた女性兵士・フュリオサが、そもそもなぜ、水と緑にあふれた生まれ故郷を離れ、イモータン・ジョーが支配する独裁国家の軍幹部…
つまりは、こういうことだ。映画とは、小説や脚本を映像化しただけの「動く物語」などでは断じてなく、だから「ネタ」をばらす/ばらさないといったレベルで議論しうるものであるはずもなく、ただひたすらに「運動」であると。 では、この場合の「運動」とは…
(画像は公式Twitterから) 何度観直してみても、この「過剰なまでの単純さ」に惚れ惚れしてしまう。惚れ惚れというか、実際はエンドロールが流れる画面の前でただ茫然としているだけなのだが。 この衝撃は、初めて劇場で観た時から少しも変わらない。あれか…
きっとこれは繰り返されることになるだろうと瞬時に確信する、あまりにも暗示的な冒頭のショット。 森の木々を地面から見上げる大俯瞰が滑らかに水平移動していくだけといえばだけなのだが、影絵のように浮かび上がる木々の黒い枝はあまりにも禍々しく、また…
(画像は公式Twitterから転載) モスクワから、世界の果てのような北部の街・ムルマンスクへと向かう寝台列車で、一組の男女が相席となる。 男から見れば、女は、かわいいけど不愛想。イヤホンで音楽を聴いたり、窓の外に向かってビデオカメラを回したりする…
(画像は公式Twitterから転載) きっとこれは繰り返されることになるのだろう、思わずそう確信する冒頭のショットにぼんやりと見入る。事実、夜の街灯に群がる白い蛾のような雪は、やがて閉鎖が決まったボクシングジムに溜まった埃となって再び宙を舞うだろ…
(画像は公式サイトから転載) これは村上春樹作品の「完全な」映画化である。抑揚を欠いたトーンで、書き言葉を話す無表情な人間たち。繰り返される内省と、何度も行き着く袋小路。「僕」と、どこか「霊的な」女。そういった村上春樹的なものをそのまま映画…
(画像は公式Twitterから借用) 女が一人、タクシーを止めてコザの街に降り立つ。少し前に、東京からやってきて、広大な米軍基地とオスプレイの轟音に迎えられたばかりだ。 ある目的地に向かって歩き出す彼女を、カメラはまず頭上から視界の端に収め、次のカ…
映画館を後にしながら、どうしてこの映画はこんなにも悲惨でなければならなかったんだろう、と思わずにはいられなかった。悲しかったし、無性に腹が立った。いや、それ以上にただ空しかった。いったいこれは誰のための映画なのだろう。まったく理解ができな…
案外、取り扱いに悩む作品である。 ゲットーの片隅で暴力に怯えながら暮らす少女が、自らの人生を選択し直す過程を描いた『プレシャス』が、徹底的に個人的な(むろん、だからこそ社会的な)映画だったのに対し、本作はまず歴史という大きな枠組みが先にあっ…
スパイク・リーが『ゲット・オン・ザ・バス』というタイトルの映画を撮っているのなら、それは間違いなく1960年代の「自由のための乗車運動」が題材に決まっていると思い込んでいたのだが、違った。 本作でバスに乗った男たちが目指しているのは、1995年のワ…
アメリカで黒人として生まれることについての、映画である。勝手に副題をつけていいなら「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」にするだろう。ブルースが歌ったものとはだいぶ異なるが、ここにもアメリカの飢えきった心があり、アメリカに生まれることの耐え難い苦難…
誰もが「死体探し」の青春モノとして記憶に留めるロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』を分かりやすく、どこかシニカルに引用しながら、「Boyz」たちの青春が幕を開ける。人が死ぬことがまったく珍しくない地域で、少年たちは遭遇した死体をどう見…
警官に喉を押さえつけられ、意味もなく死亡した黒人男性たち。彼らは最後、「息ができない」と苦しみながら息絶えたという。SNSでBLM運動が盛り上がろうと、下火になろうと、評価・検証すべき「歴史」になろうと、そうした犠牲者は耐えることがない。 …
時代の後知恵とはいえ、本書に関しては、ジェンダー、もしくはレイシズムの観点からいくら値引きすべきかという問題がまずあるだろう。 例えば、エディ・マーフィの個性を評するのに「白人には見られない底抜けの明るさ」などという表現では個人の資質をあま…
少なくとも、NHKの「沖縄本土復帰50年プロジェクト」としての『ちむどんどん』はおおよそ終わったように思う。 沖縄戦についての語りが終わり、料理人としても東京で認められ、予定されていたカップルの結婚が成り立ってしまった今、このドラマがこれまで…
唐突な記録映像の挿入によって、それは描かれた。いや、あれは「描かれた」とすら表現し得ない暴挙かもしれない。「戦争によって失われた領土を、平和のうちに外交交渉で回復したことは、史上きわめて稀なこと」と自負してやまない政府高官らの万歳三唱。50…
かなり身構えて劇場に向かった。沖縄の離島、台湾からの移民、そして炭坑。こういった題材が交わる場所で撮られた映画が、たとえある時代を生き延びた一人の老女の余生を追ったものであるにせよ、決して穏やかな内容で済むはずがないからだ。 むしろ、沖縄の…