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スパイク・リー監督『ゲット・オン・ザ・バス』映画評|それでもバスは進む

 スパイク・リーが『ゲット・オン・ザ・バス』というタイトルの映画を撮っているのなら、それは間違いなく1960年代の「自由のための乗車運動」が題材に決まっていると思い込んでいたのだが、違った。

 本作でバスに乗った男たちが目指しているのは、1995年のワシントンD.C.である。そこでは、「黒人男性に過去の罪滅ぼしをし、その家族とコミュニティーに対する責任を果たすよう求め*1」るための100万人集会が開催されようとしていた。ここでの責任とは、「妻子を養うこと」である。

 

 この時代、黒人内部の階層分化は激しく進行していた。逆に言えば、妻子を養うことができるか、それを可能にするだけの賃金を得られるかどうかは、黒人だからと言って当然に共有できる問題ではすでになくなっていたのである。

 そんな時代に、ただ「男であること」だけで連帯することなどできるのだろうか。答えはノーだ。事実、60万人以上を集めたというこの集会にしても、その提案者であるルイス・ファラカンにしても、歴史的な評価は必ずしも高くない。当然、男性だけの集会であることに対する黒人女性からの批判も覚悟しなければならない。

 結果、本作が描くのは、現代のアメリカ黒人が直面する「連帯の難しさ」となる。

 

 恋人の妊娠を知って逃げ出した父親と、その息子。リストラで妻子を失った父親。事業の成功を鼻にかけ、Nワードを使いながら同胞差別を行う自動車販売業の男。黒人ギャングに父親を殺された警察官と、ネーション・オブ・イスラムへの入信により改心した元ギャングスタ―。白人の母親を持つことで、「ブラザー」たちからハウス・スレイブ呼ばわりされ、「上方に疎外」されてしまう男。そしてゲイのカップルと、同性愛嫌悪をむき出しにする俳優。あるいは、大学の卒業制作の撮影のためにカメラを回す男。

 

 これで連帯などできるはずもなく、まさに決裂寸前の口論映画となる。だが重要なのは、彼らの乗るバスが、「それでも」男たちを同じ空間にまとめ、仮初めの共同体を辛うじて形成する点だろう。

 バスの役割を担うのは、時に「祈り」や「音楽」だったりもするし、状況の改善には「意識の向上」が必要である、とまとめてしまうのはいかにも説教じみていて固いけれども、同じバスに乗り、同じ方向を向いて、同じリズムを刻めば、俺たちもまだ完全にはバラバラではないのだと、ギリギリのところで描きたかったのではないか。

 

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監督:スパイク・リー
原題:Get on the Bus
劇場公開日:1996年10月16日

 

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*1:上杉忍『アメリカ黒人の歴史』p.170