まずは書き出しの一文だ。黒人に対する差別意識の表象とも言える、身体性ばかりが強調された動物の比喩や人種的なステレオタイプ*1に満ちた表現――「ココアを混ぜたような肌」「悪魔じみた目」「黒豹みたいな手足」――が著者の側から連打される。
これがパロディなのか、もっとポジティブな言葉選びなのか、判断がつかないまま読み進めると、その身体が性的な目的でベッドにはりつけにされているのだから事態は混沌としている。同時に、本作をめぐるインターセクショナリティをここで一瞬で説明してしまうスピード感はめまいがするほどだ。
そう、本作の主役となるジャクソンは、日本に住む黒人系ミックスレイスの青年で、ゲイだ。作中の言葉を借りるなら「珍しい」存在だろう。表題にもあるとおり、この外見でこんなふうにはりつけにされ得るのは「ジャクソンひとり」だと彼自身も思った。
しかし、ジャクソンに当時の記憶はなく、これは自分だと主張する「ジャクソン」がほかに3人現れる。動画を撮影したのは誰なのか。被写体は誰なのか。夜に紛れて生きる彼らの都市生活は、この動画をめぐって加速していく。
そのスピード感を切断するのは、警察による職質だ。「普通に道を歩いているだけで職務質問を受けるのは、『黒人系』や『中東系』、『南・東南アジア系』のルーツをの男性が多い*2」というのは現実と同じなようだ。
こうした名ばかりの「ダイバーシティ」を暴露するように、物語の終盤である男はこう言う。「君たちみたいな属性なら誰でもいいんだよ」と。まさしくレイシャル・プロファイリングの原理だが、「ステレオタイプは、見慣れぬものを固定させ、そうして『抑制』する*3」とは、まさにそのとおりだろう。
そこで4人の「ジャクソンたち」は、一方では「特殊」と見なされ周辺化されながら、もう一方では雑な括りで「一緒くた」にもされる落差を逆手に取り、「俺たちも、入れ替わっちゃう~?」と思い切った反撃に出る。
復讐の顛末はここでは明かさないが、「純ジャパ」からの二重の視線を対象化した上で取り込み、物語のテコとしていくタフな作品である。ここにあるのは知恵とユーモアだ。ジャストアイデアな軽さも手伝い、多くの読者に、素朴に「面白い」と言わせてしまうだろう。
だが、この「面白さ」は、彼らの根っこにある悲しみや怒りとバーターだ。どれほどサクサク読もうと、そのシリアスさを軽く見るべきではない。
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著者:安堂ホセ
出版社:河出書房新社
初版刊行日:2022年11月30日