Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

【追記】『ちむどんどん』と沖縄戦――このドラマが描けたものと、描けなかったもの

 少なくとも、NHKの「沖縄本土復帰50年プロジェクト」としての『ちむどんどん』はおおよそ終わったように思う。

 沖縄戦についての語りが終わり、料理人としても東京で認められ、予定されていたカップルの結婚が成り立ってしまった今、このドラマがこれまで「反省会」タグを賑わせてきた演出の数々を改めて思い起こせば、この先に待ち受ける困難やそれがバタバタと克服されていく過程は嫌でも想像できるというものだろう。

 そうしたパターンと反復をこの先も覚悟する時、復帰50年を念頭に置いた「沖縄もの」としても、沖縄をいち地方とした「上京もの」としてもすでに山場を過ぎたであろう本作が、残り1ヵ月以上、いったいどんな見せ場を用意できるのだろうかと心配になるのは私だけではあるまい。

 

 とは言え、このドラマに対する自分の立場は第25話の時点でアップしたこちらの記事(↓)に記してあるし、その後、様々な議論の中で「反省会タグはいじめである」という意見まで登場するような状況となっては、今さら批判をつけ加えるのも野暮だと思っていた。9月30日(木)の最終回をそう遠くない未来に控えた今、多くの人が望んでいるのはせめてもの軟着陸であり、これ以上の粗探しではないのかもしれない。

 

 

 それでも今、こうして未練がましく「追記」をアップしているのは、本作が沖縄戦を描いた際、那覇を焼け野原にした1944年10月10日の「空襲」をシンボルにしたことに対する違和感が拭いきれないからである。もちろん、1200人以上の死者を出したというこの空襲も紛れもない沖縄戦であり、傲慢にもそこで失われた命に象徴的価値を付けたり、それを値引いたりしたいわけではない。そもそも、本を何冊か読んだ程度の知識で沖縄戦を語ることなどできるはずもない。

 だが、例えば沖縄戦のサバイバーでもある大田昌秀沖縄県知事の『沖縄のこころ』が、1945年4月1日の沖縄本島への「米軍上陸」から始まっていることの意味を、もう一方では考えてしまうのである。「国内唯一の地上戦」という決まり文句が今日まで受け継がれてきたことの意味を、つい考えてしまうのである。よりハッキリと言うなら、マイク・モラスキーが『占領の記憶 記憶の占領』において「占領比較において意外に注目されないが、この点は非常に重要である」と指摘していたとおり、

 

沖縄と日本本土の占領の根本的な違いは、全く異なる戦争体験に基づく。本土を襲った酷い惨害にもかかわらず、(本土では)どれほど強烈な兵器であれ、アメリカの襲撃は空から行われ、敵自身の姿は見えなかった。ゆえに、彼らの戦中体験においてアメリカという敵は、抽象的で遠いものであった。

 

のだとすれば、本土にとっての戦争のイメージに近い「空襲」を取り出し、その後の「焼け野原と闇市」という共通のイメージで本土と沖縄をつなげようとした『ちむどんどん』は、戦争を描写するにあたってあえて「抽象的」な側にとどまったような気がしてならないのだ。それはそれで一つの選択だろう。だが、やはり沖縄戦を生き延びて新聞記者となった池宮城秀意が、その名著『戦争と沖縄』において以下のようにはっきりと書き残したことの核心が、予備知識のない視聴者にどこまで伝わったのか、考えてしまうのである。

 

沖縄戦の悲劇は、ひめゆり学徒隊鉄血勤皇隊、防衛隊などのように、非戦闘員であった者たちが戦場に送りこまれ、その命を奪われたことと、アメリカ軍の上陸によって地上戦になり、20世紀文明がつくりだした新しい殺人兵器によって、沖縄中が血まみれになったことでした。そしてこの沖縄戦をさらに悲惨なものに追いこんだのは、日本軍の無謀な行動にほかなりません。

 

 もちろん、この「先」に待つおびただしい数の死や、悲劇の数々は、ある時から沖縄が望まぬ「歴史戦」を強いられている震源地でもあるから、朝ドラが下手なリスクを冒してまでこれ以上踏み込む必要はない、あくまで戦争一般の悲惨さが引き出せればそれでいい、という判断があったとしてもまったく不思議ではない。やはり、それはそれで一つの選択だろう。

 ただ、劇中、沖縄戦へのただならぬコミットメントを示す二人の男(新聞記者の和彦とその上司・田良島)が、沖縄戦のことをどう本土読者に伝えていくか、「鉄の暴風」というキーワードをちらつかせながら一方では葛藤してみせるとき、だがもう一方では上記のような沖縄戦ならではの要素がほとんど語られないことのチグハグ感を、私は消化しきれなかった。

 おまけに、沖縄戦の「語れなさ」がいくつかの理由に起因し、そのうちの一つに語り手の「資格」のようなものがあるとするなら、沖縄戦の語り方を「一生かけて考えます」と誓う和彦の志も、むしろドラマの演出上、もっと何度も阻まれてしかるべきだったのだが、沖縄戦遺骨収集ボランティアの男性に「いい目をしている」と認められることであっけなく超越してしまうあたり、むしろこのドラマが沖縄戦の話題から足早に去っていく後姿を見た思いだった。

 

 前回(5月)の記事に、私はこんなことを書いている。「フィクションに政治を持ち込むなと、あなたは言うだろうか。であれば私は、政治を真正面から無作法に持ち込んだ上で、むしろ物語を動かしていくダイナミズムに利用してこそのフィクションだろうと言いたくなる」と。

 その意味では、「一生かけて考えます」と誓ったその口で、沖縄戦生存者の語りを自らの求愛の言葉に転用していった和彦の振る舞いは、その軽薄さを別にすればドラマ的な仕掛けであるとは思った。が、5年付き合った元婚約者と別れたばかりの男の口から飛び出た言葉としてはやはり軽薄としか言いようがなく、残念ながら、ドラマを躍動させる力とはなり得なかったように思う。

 

 一方、沖縄戦を知るための取材の旅『仲間由紀恵黒島結菜 沖縄戦 “記憶”の旅路』を見た後だから言うわけではないが、自分だけが生き延びてしまった罪悪感を人知れず抱えながら、ただ「幸せになるのを諦めないで」と子どもたちを諭してきた母・優子が、自らの体験を語りながら「終わっていないわけ、うちの戦争は」と泣き崩れる場面は、ほとんど唯一と言っていいほど、「沖縄本土復帰50年プロジェクト」に相応しい熱演だった。

 であればなおさら、このドラマがあと一歩でも二歩でも、「一生かけて考えます」というほどの覚悟で沖縄戦特有の悲劇に近づいていたのなら、暢子たちが、あるいは視聴者たちが、「これは奇跡だ――私が生まれたのは何という幸運*1」という啓示のような、あるいは体の奥底から湧き上がってくる無条件の愛や喜びのような感情を、もっと一緒になって噛みしめることができただろう。

 

 こうしたことに比べれば、ジェンダー的な問題意識を時々匂わせてきたのは何だったのかと思うくらい、和彦と暢子に最初から「ただいま」「おかえり」の関係を持たせたばかりではなく、暢子の生き方に感化され、スカートをズボンに履き替えるというこのドラマの中では抑制のきいた演出で日本を出ていった恋のライバルの席を奪ったヒロインが、逆にズボンではなくスカート履きまくって恋人の母親に手料理を振る舞いまくるという演出の意図が掴みかねるくらいのことは、黙って許容すべきなのかもしれない。

 

 さて、この不毛な文章もそろそろ終わりにしよう。沖縄に関する本を曲がりなりにも何冊か読んでいくと、「生き方の原点を沖縄戦における異常な体験に据えている*2」たくさんの人たちに出会う。そうした人々の語りは、多くの場合、やはり米軍や基地といった問題とは切り離せない。

 今さら蒸し返してしまうが、改めてこうした前提に立つなら、「鉄の暴風」とは言っても「銃剣とブルドーザー」とは間違っても言わないこのドラマの用心深さを前に、私はどうしても、本作がなし得たことよりもなし得なかったことの重さ、その途方もなさを思わずにはいられないのである。

*1:アケミ・ジョンソン『アメリカンビレッジの夜―基地の町・沖縄に生きる女たち』p.361

*2:大田昌秀『沖縄のこころ』p.1