その昔、「曲がりなりにもヒップホップを聞こうとしているならこれくらい読んでおいた方がいいよ」と指定されたのが、本田創造『アメリカ黒人の歴史』(以下、『本田本』)だった。
今となればその理由がよく分かる。ヒップホップとは、ニューヨークの荒廃した黒人街で生まれた音楽だからだ。ではなぜ、アメリカの大都市には黒人が密集して暮らすゲットーが形成されたのか? 彼らはどこからやってきたのか? これらの入門書が教えてくれるのは、黒人が強いられてきた長く辛い「移動」の歴史である。
『本田本』は1619年から始まる。アメリカで代議院による自治が始まった年であると同時に、最初の黒人奴隷が「輸入」された年でもある。黒人奴隷は当時、家財道具や皿、書物などに並ぶ所有者の「動産」だった。それが「海賊的な行為」によってアフリカから連れて来られた黒人たちの出発点だった。
アメリカの「正史」を、多くの矛盾を伴う「皮肉」として見つめ直していくこと。そういった観点からは、あの独立革命さえも、黒人の前を素通りしていった支配者層の妥協の産物に過ぎない。奴隷制度は憲法で容認され、それに依存する南部と、自由な北部という二つのアメリカが誕生したのだから。
その衝突が南北戦争だが、リンカーン大統領による奴隷解放令と南軍の降服をもってしても、黒人の奴隷的労働や人種差別はなくならなかった。むしろ南部では、公共交通や学校、レストランなどでの人種隔離が法制化され、「ジム・クロウ」として悪名高い差別制度が強化されていくのである。
やがて、南部農村からの黒人の脱出が始まる。第一次世界大戦による経済活況も手伝い、北部の大都市への移動が飛躍的に増大した。だが、都会の生活を知らず、賃金も安かった黒人たちは、都市の隔離された一区域に押し込められた。これがゲットーだ。出口はどこにもなかった。
2歩進んでも3歩戻される。それでも、ローザ・パークスは座り、マーティン・ルーサー・キング牧師は歩いた。多くの黒人たちがバスをボイコットし、食堂に座り込んだ。こうして公民権運動が巨大なうねりとなる。1963年のワシントン大行進はその絶頂で、21世紀の今でも映画の題材になるほどだ。
しかし、アメリカ黒人史はそこでハッピーエンドとはならなかった。「その後」に待っていたのは、黒人同士の経済的な階層化や分極化だった。多くの黒人はゲットーから逃れられず、『本田本』の最後には「階級」という言葉すら登場する。黒人の怒りと失望とともにある、噂にたがわぬ名著であったが、後味は苦い。
この続きを、『本田本』の書き直しを目指したという上杉忍『アメリカ黒人の歴史』(以下、『上杉本』)はどう描いているか。時代は2013年。奴隷の子孫ではないとはいえ、黒人の大統領が誕生し、2期目を迎えている。たとえ象徴的なレベルだけであっても、こうした進歩を選択できるのがアメリカという国だと思う。
しかし残念ながら、状況は好転していない。差別制度の撤廃はむしろ、「機会の平等」を演出する口実として利用され、黒人の直面する「結果」に対する自己責任の圧力を高めた。階層格差に加えて、奴隷にルーツを持たない新たな黒人移民も増え、同じ黒人とは言っても、アイデンティティの持ちようや連帯のあり方も変わってきている。
そうした時代に、それでも黒人の貧困層を特徴づけるもの。「母子家庭」や「固形コカイン(クラック)」という言葉が印象に残るが、多くの黒人は今なお教育からも雇用からも排除され、麻薬とともにギャングに取り込まれていく生活から抜け出せていない。むしろ企業による囚人雇用とともに、その傾向は強まっているようだ。
こうした歴史認識の連続性において、『上杉本』はまずもって『本田本』の「続き」として読めそうだ。その上で、両者のもっとも象徴的な違いを挙げるのなら、『上杉本』では結婚や音楽など、黒人たちの生活文化にも眼差しが注がれていることだろう。ハードな闘いのなか、黒人たちが「何と共にあったのか」を垣間見せる。
さらに言うなら、『上杉本』は『本田本』を相対化してもいる。特に、大統領の歴史的決断を、個人的資質ではなく政治的な駆け引きの産物として「冷却」しながら描き出している点は強調すべきだろう。反共、赤狩り、冷戦下におけるアメリカの世界戦略との整合性。そうしたより大きな目的の下で、黒人たちの権利は取引されてきたかに見える。
奇しくも『上杉本』が発行された2013年、SNSには#BlackLivesMatterというハッシュタグが登場する。契機となったのは、日常的なレイシャル・プロファイリング、そして白人警官による黒人青年への暴行だ。1619年からすでに400年になるが、これだけ聞くと何も変わらないかのようだ。この古くて新しい問題がなくなるまで、いったいどれほどの命が犠牲になるのか。
(今回からアメリカ黒人史を集中的に学ぶシリーズ、「ロング・ホット・サマー」を始めます。10冊読むまで長く暑い夏は続きます。)
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(写真左)
著者:本田 創造
出版社:岩波書店[岩波新書]
初版刊行日:1991年3月20日