Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』書評|生き延びてしまったことの奇跡を肯定する

 名著である。すでに広く読まれ、世に多く流通していることをいいことに古本で済ませてしまったが、失敗だった。『きけ わだつみのこえ』などと同じような規模で、これからも読み継がれていくべき一冊である。

 もっとも、「まえがき」でひめゆり学徒隊の消費のされ方を批判する本書自体が、「いたづける勇士をいたわり女性のもつ優しい天性のゆえにたおれたのであった」などと書いてしまうあたり、時代の限界と言ってしまえばそれまでだが、小さからぬ瑕疵であり、僭越ながら指摘しておきたい。

 ここで分かるのは、ひめゆり学徒隊の引率教員だった著者(編者、というべきかもしれない)が拒絶した「消費」のされ方とは、他ならぬ教員らが言い放った、「師範学校の生徒は、将来人の師となる者である。敵の捕虜になるなど考えられない」といった言葉を字義どおり全うした生徒たちの姿だったのではないか、ということである。

 自分たちが訓示した結果でもあるこのイメージを払拭しようとすること自体、批判的に読めば、教員としての自己都合的な罪滅ぼしにも読めてしまうし、現に「皇軍」の反転攻勢を信じ、追い詰められた断崖絶壁で「海ゆかば」を歌い、投降を拒否して逃げ惑っていた生徒たちがここに描かれている以上、目を背けることはできないと思う。

 

 さらに言えば、同じく戦場の放り出された「一般人」の存在がどこか周辺化されてしまっているのも、「ひめゆり学徒隊」という視点から描かれた本書の限界でもあるだろうが、それはひとまず置いておく。恐ろしいのは、戦況が悪化した5月の終わりごろの時点で、すでにひめゆり学徒隊やその周辺の部隊にとっての「目的」が失われていたことである。

 本土決戦即応体制確立のために進められた「沖縄作戦」の現場に残っていたのは、戦争に勝つとか負けるとか、戦闘を続けるとか続けないとか、もはやそういう次元の選択肢ではなかった。ただ「死なないための移動」だけがある、そんな感じだ。鉄の暴風と呼ばれた弾雨の中、壕から壕へと移動を繰り返す中で、「もう何もいらない」と、ある生徒の手記には記されている。「命一つを持ってあてどもなくさまよった」と。

 

 そして、運命の6月19日がやってくる。学徒隊は米軍が迫る中で解散(動員解除)となったのである。軍命で戦場に動員され、地獄の入り口まで来て突如、「解散」を命ぜられたのだ。玄米と乾パンだけ持たされ、弾雨の吹き荒れる戦場に放たれる経験とはどのようなものだったのだろうか。

 

海鳴りがすぐ近くに聞こえる。とうとうゆきつくところまでゆきついた。この丘のうしろは、もう沖縄最南端の海岸である。この海岸の自然壕が、結局われわれの最後の隠れ家なのだ。

 

 運命の分岐点はすでに過ぎ去り、生きているのも死んでいるのも変わらぬ究極の状況で人知れず自決を決意し、生徒とともに死に場所を求めていた著者だったが、実際に米軍が間近に迫った時、咄嗟に出た生徒への一言は「死ぬんではないぞ!」だった。誰にも、何とも説明のできない言葉だろう。だが、実際に究極の状況で出た言葉がこれだったのである。

 この言葉は、著者本人の記録にも、生徒の手記にも残っている。だが、この事実をもってしても、本書全体を覆う「生徒を差し置いて生き残ってしまったことの罪悪感」を少しも軽減しはしない。だが、こうして複数の手記が並び、戦争の実相に近づけば近づくほど、生と死を分けたものが究極的に言えば「紙一重の偶然」でしかないことに、著者は思い至る。

 生き延びたことは、罪ではない。単なる自己弁護ではなく、自分が生き延びたことでさえ、人知の及ぶところではないのだ。こうして文字にしてしまうと陳腐なのだが、重苦しい贖罪の意識が、自らに与えられた生の肯定へと辛うじて裏返っていく瞬間の、まさに奇跡としかいいようのない生の実感に震えた。著者を呪い、苦しめたものが沖縄戦の経験なら、著者をそうした確信まで連れていくのもまた沖縄戦の経験である。

 

 自分がいま生きていること。間違いなく、それが奇跡だという実感を湧き上がるままに受けとめ、読み手と共有すること。本書が達成していることはきっとそういうことである。そう、命こそ宝だ。ここに記録された奇跡を前に、いったいこれ以外に何が言えるというのだろうか。

 だからこそ、「女性の本能的に持つ慈しみ」などといった本質主義的な言葉で、ひめゆり学徒隊のイメージを「正しく」描き直すこと自体はここでは成功していないし、するべきでないとも思う。そういった意味では、目指した内容がすべて達成された本ではないように思う。

 それでもなお本書が優れているとすれば、ここに束ねられた手記それ自体が、ひめゆり学徒隊をめぐる「皇軍」的なイメージも、「母性」的なイメージも、結局は暴力的な「要約」でしかないことを自らの力で否定し得るからである。その複雑さと力強さに圧倒される。

 

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著者:仲宗根政善
手記:城間和子、上原当美子、比嘉園子、久田祥子、佐久川ツル、宮里春子、仲村渠郁枝、福地キヨ子、垣花秀子、兼城喜久子、渡久山昌子、宜野座啓子、喜舎場敏子、山城信子、大城好子、守下ルリ子、金城素子、座波千代子、石川節子
遺書:瀬良垣えみ
出版社:角川書店[角川文庫(現・角川ソフィア文庫)]
初版刊行日:1982年4月10日