1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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大田昌秀『新版 醜い日本人』書評|日本にとって沖縄とは何か

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 本書の旧版が出たのは1969年。沖縄の施政権は米国にあり、軍隊に支配されたその島に日本国憲法の適用はなかった。途中、引用されている米軍側の表現を借りるなら、沖縄で暮らす人びとは「一人前の日本国民でもなければ米国市民でもない」状態に置かれていたのだ。

 1972年に実現する施政権返還は、すでに『日本にとって沖縄とは何か』などでも見てきたように、沖縄側の期待に沿うものではなかった。アジア地域の平和と繁栄のため、という口実で日米安保体制の再編・強化のテコとされた結果、沖縄への基地集中はむしろ復帰前後で加速することになる。

 そうした「復帰」の実態が見え始めていたのだろう、本書を貫くのは、どれほど文体を抑制しようとにじみ出てくる巨大な怒りである。「沖縄戦における犠牲の意味をあいまいにし、戦争の処理さえも終わっていないまま、沖縄をして、ふたたび国土防衛の拠点たらしめよう」とする人々に対する最後通牒だ。

 

 「醜い日本人」。その含意は、忘れられた島から本土に向けた怨嗟であり、内地人を名指しした真正面からの批難でもある。そのマグマのような怒りは、著者本人を失い、復帰から50年になろうという2022年においてもなお失われていない。

 実際、著者が本書で繰り返し指摘した「大きな目的のために小さなものが犠牲にされる」構図は、今も続いている。第4章を除き、2000年に再版された際も元の記述は生かされたとのことたが、歴史的な事実関係を除き、ほとんどの文章が当時書かれた時制のまま「読めてしまう」ことにショックを禁じ得ない。

 

 再版にあたって大きく変わったのは、第4章とのこと。当初、沖縄の民衆運動をまとめたものだったらしいが、全編的に改められ、沖縄をめぐる問題の「淵源」を探る内容になっている。

 1609年の「薩摩の琉球侵略」から明治政府による「琉球処分」、そして沖縄戦における「捨て石」的扱いや、講和条約における「切り離し」までを並べることで見えてくるのは、沖縄と中央をめぐる歴史の反復性、パターンのようなものである。それは差別支配と呼ぶしかない、一方的で執拗な暴力の歴史だ。

 

 『新版』のあとがきには、「痛恨の想いをこめて、今一度、本書を世に問わざるをえない次第だ」とある。ここに付け足せる言葉などない。復帰50年となる沖縄では、繰り返し示された民意を無視したまま、巨大な「新基地」の建設が今日も進められている。

 

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著者:大田昌秀
出版社:岩波書店岩波現代文庫
初版刊行日:2000年5月16日