Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽のレビューブログ。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

【EUREKA!】春はあけぼの feat.タージマハ美 - "ไม่ใช่ผู้ชาย" (Dooba doo cover)

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 いつも通り、何をするでもなくTwitterをぼんやり眺めていると、面白そうなミュージック・ビデオのリンクが流れてきたので、そこからいろいろたどっているうちに、たまたまこの曲にたどり着いた。

 昨日の今日なので、その時の衝撃はまだうまく言語化できないのだが、ブラス隊を中心とするその愉快な演奏が始まった瞬間、訳もわからぬまま、「きっと音楽は正しいのだろう」と確信することとなった。

 

 もちろん、ここで言う「正しさ」とは、およそ辞書的な意味とはかけ離れているはずだし、音楽が「正しい」という尺度で測られたことなどないだろうが、ほかに代替できる言葉もなく、とにかくそうとしか思えなかったのだ。

 

 原曲のことなどまったく知らず、とにかく夢を見るようにそこから一気に10回くらい連続で聴いたわけだが、夢から醒めるどころか、その根拠のない確信はただ深まっていくばかりだった。

 正直、演奏や歌唱の水準がどの程度なのかはまったく判断できないし、「春はあけぼの」というスカ・バンドのことも、「タージマハ美」という歌い手のことも全然存じ上げないのだが、鳴っては消えていく音の愛おしさを、自らでは知りようもないまま刹那に鳴らされるその無償のポップスに、深い感動を覚えた。素晴らしい演奏と歌だ。

 

 そもそも、ニコリともせず、ほぼ棒立ちで黙々と吹き続けるブラス隊が信用できないわけがないし、ハイハットのようにずっと鳴ってるノリノリのトライアングルが間違っているわけがないし、全体のグルーブ感を一手に引き受けるジャズ的なベースが地面を這いながら踊っている限り、このパーティが間違っているはずがないと思える。

 そしてタージマハ美は、スカに乗ったフレンチ・ポップみたいなこの不思議な曲を、まるで祖母から授かった往年のスタンダードをシンガロングするようなナチュラルさでさらっと歌い始め、どうやら英語でも日本語でもなさそうだという言語的な違和感すらなかったことにしながら、変にしゃくり上げたりもせず、正統派のポップ・シンガーとして歌いきってみせる。

 

 もしかしたら、原曲の原曲の原曲のそのまた原曲、くらいの祖先が存在するのかもしれないが、まあそれはなんだっていい。

 自分はただ、この音楽が鳴っている瞬間に正しく立ち会っている動画の中の人たちが、どこまでも羨ましいのである(2018年の那覇、という記録になっている)。フジロックなんて行けなくていいから、こういう心のこもった音楽がたくさん聴ける場所でたくさんビールを飲みたいと切実に思った。

 

 あるいはこれは、ちょうどこの2024年7月というときに沖縄が置かれることになった状況がそうさせたのかもしれないが、自分が確信した「正しさ」とは、あえて大胆に言えば、社会がどれだけ間違っていても、音楽は正しくあり続けることができる、という確信である。

 それは確信というより、祈りや願望に近いかもしれないが、とにかくそう思ったのだ。それは自分が永らく忘れていたことで、今さらぎこちなく微笑みかけても取り返しのつかないことかもしれないのだが、それでも思ったことをそのまま書き残しておく。

 たぶん、音楽はいつも、絶対に正しい。