Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

戦争と沖縄――あるいは「ひめゆり」の詩を聴きながら

 ここ最近、沖縄戦、特にひめゆり学徒隊関係の本を何冊かまとめて読んだ。

 その感想はブログにも毎回アップしてきたが、客観的に見れば、私の書いた文章はどれもベタで、情緒的に過ぎたかもしれない。個人の体験に没入するあまり、フォーカスすべき構造的な問題が放置されたまま終わってしまったかもしれない。

 しかしながら、地獄の底から生還した人々の血まみれの言葉に触れて、自分の中の深いところに残ったものを限られた字数の中で抽出しようとすると、どうしてもああいった形にしかならなかった。

 

 実際、沖縄戦を生き延びた人々の経験は、読めば読むほど、「奇跡」以外の何ものでもないと思う。

 その実感をほんの少しでも言語化し、誰かと共有したいと思いながら、しかし結局はベタで、陳腐な感想に終始したのだとすれば、それは私の力不足としか言いようがないが、一見ベタに見えるものにはその必然性があり、そのベタさは「そのまま」でしか受け取れないのではないかと、近頃では思うようになった。

 

 例えば、MONGOL800の「himeyuri ~ひめゆりの詩~」という曲がある。2000年前後の流行りを思い出させるメロディック・ハードコア・サウンドと、平和の礎を題材にしたミュージックビデオ。70年目の慰霊の日に合わせて公開され、サビでは「忘れるな/ひめゆりの詩を」と歌われる。

 

youtu.be

 

 あるいは、HYの「時をこえ」。歌詞は、「おばぁ」や「おじぃ」から聞いた昔話を紹介する構成であり、サビでは、「誰かに伝えなきゃ/僕らが伝えなきゃ」と、歴史を継承する決意が歌われる。アレンジにはエイサーが取り入れられ、壮大な演奏の中で命どぅ宝の精神を歌い上げる一曲になっている。

 

youtu.be

 

 沖縄戦の「お」の字も知らない、かつての自分であれば、これらの楽曲に反応できたかは分からない。個人的な音楽の趣味で言えば、たぶんできなかっただろう。

 だが、曲がりなりにも沖縄の歴史の一端を学び、時に「沖縄のこころ」と表現されるものに思いを馳せる中で、これらの楽曲にはこれ以外では代替のできない「ちゃんとしたもの」が込められていて、それは知ろうとした時に初めて聞こえるものなのだ、ということが少しずつ分かるようになってきた。

 

 逆に、これらの歌を聞き、あるいは沖縄戦について学んでいく中でふと思い出されたのは、MONGOL800と同じく、ある時代のJ-ROCKを象徴するバンドである銀杏BOYZの「人間」という曲だった。

 

youtu.be


 「とりあえず戦争反対って言ってりゃあいいんだろう 」という、妙にひねくれた、挑戦的とも取れなくはない歌詞で知られている一曲だが、なるほど、ここに込められているのは、「君」にすらなんにもしてあげられない僕は、社会や、世界や、戦争になんて1ミリの影響力も持ち得ないさ、という無力感である。

 気分としては、すでに9.11が起きたあとの戦争の時代にありながら、しかし『Rock Against Bush』的なものには乗れない、「なんだかんだ言って平和な国に生きる俺たちのリアル」みたいなものだったのだと思う。

 その根っこにあるのは、もともとロックという音楽は「戦争反対」を主張する社会派の表現などではなく、悪魔とさえ取引してきた「人間様」の快楽であり踊りなのであって、ロックにはロックとしての肯定や祝祭がある、という歴史的な認識だったのだと思う。それは別に間違っていない。

 さらに言えば、「夢は世界の平和」と語った忌野清志郎のようなオールドロッカーや、そうした年代のロックが時に標榜していた「ラブ&ピース」的なものへの嫌悪さえ、そこには含まれていたかも知れない。「とりあえず戦争反対って言ってりゃあいいんだろう 」。とにかく、彼らの世界観はそうやって完成する。

 

 では何が、「戦争反対」をそうも難しくさせるのだろうか。裏返せば、何が「戦争反対」へとつながっているのだろうか。

 先に挙げた2曲が強調しているのは「歴史の継承」であり、それは間違いなくそうなのだが、正論過ぎるほどの正論でもあって、そうした真面目さや切実さが「退屈さ」となって、かえって歴史の風化を助長してしまう逆説もまたありふれているものと思う。

 たとえば、Coccoがエッセイ「6月23日、黙祷」の中で「ありきたりな平和への祈りにももう、お腹は一杯だった」と書いたように。あるいは、目取真俊が『眼の奥の森』の中で描いた、戦争経験者の語り部と女子中学生との絶望的なすれ違いのように。特にCoccoの「あからさまな平和主義者なんて夢見がちな馬鹿野郎だと想ってた」は、銀杏BOYZ的な無力感とも通じ合っている。

 ありふれた「戦争反対」と、同じくらいありふれた「戦争反対って言ってりゃあいいんだろう」。どちらが悪いということを言いたいわけではない。それは一つの限界として、受け止める必要があるのだと思う。実際、戦争や平和をめぐる言説に、ある種のベタさ、紋切り型があることは否定しない。

 

 しかし、何度も何度も繰り返すが、沖縄戦に関する実際の語りを読んでいると、むしろ「戦争反対」というベタさ「こそ」が、生還者たちが厖大な犠牲と引き換えに得た、「言葉などひとこともありませんでした」という絶望の向こう側から持ち帰ってきた教訓なのだということを、少しずつだが理解できるようになった。

 

youtu.be

 

 沖縄戦を生き延びた人々にとって、生き永らえたことは文字どおりの「奇跡」である。だから、その子孫にあたる人々がいま生きていることも、同じように「奇跡」である。その先には、素朴な、ありきたりの、何の過剰さもない、文字どおりの「戦争反対」しか残らないのではないか。

 沖縄のアーティストたちが打ち出すこうしたベタさ—―それをベタさと呼ぶのなら、ということだが—―は、沖縄戦の継承を探る中での「限界」ではなく「結論」なのである。今はそれを理解できるようになった。

 

 そんな中、少なくともアーティストのポジション、リーチしている層の多様さも含めて、決定的な一曲が出た。MONGOL800の初期の代表曲をリメイクしたAwichの「琉球愛歌 Remix」だ。

 

youtu.be

 

 原曲にはないオリジナルのリリックで、「島」や「大人」に対する迷いや不信感、葛藤などを抱えたまま沖縄を飛び出した少女の半生が、美しい自然とともに活写される。それは『Queendom』収録曲のどれとも似ていて、しかしどれとも違う。

 「大人は答えを持ってない」、それはきっと当たっているし、今もそうだろう。だが、少女は大人になり、海の向こう側の社会で「いとも簡単に失くなる命」、そのリアリティーに触れることで、「島」の「大人」たちが語っていた何かにふと出会い直すのである。

 その一つが、やはり沖縄戦なのだろう。どうして生き延びることができたのか分からないほど激しかったという「艦砲射撃」を取り上げ、そこを生き抜いた人々から渡された命を奇跡のように愛おしみ、同じ命を生きる人々に向かって、あるいはもうこの世にはいない誰かに向かって、とびきりの愛を呼びかけている。

 

 数えきれないほどの涙や、耐え難いほどの痛みが、やがて優しさへと変わっていく感覚を、Awichは「沖縄のこころ」として、自分の激動の半生の中にも、沖縄戦生存者たちの語りの中にも、同じように見い出しているのだと思う。

 やがて原曲のリリックに戻りながら、Awichは絞り出すように歌う。「泣かないで人々よ」と。

 

 AwichやCoccoが、いろいろな意味で「島」を飛び出しておきながら、またこうした場所に戻って来られたのは、偶然なのだろうか。あるいは、「沖縄」という特別なルーツがそうさせたのだろうか。そうかもしれない。だが仮にそうだとしても、やはり、「とりあえず戦争反対って言ってりゃあいいんだろう 」から離れる努力は必要なのだ。

 どのような歴史にも、それを残そうと必死に努力している人がいる。そうした真面目さや切実さから音楽へと逃げ込む人もいれば、それを共感可能なものにするために、音楽の力を借りようとする人もいる。必要なのは、いつだってそれを知り、聞き取ろうとする人の方なのだ。

 

 もう一度だけ、最後に繰り返しておきたい。「戦争」の実相に近づくことは、そこからの生還という「奇跡」の実相にも近づくことだ。

 これを一切の冷笑なく、距離化も相対化もなく、そのまま受け止めること。その上で、ごく当然に「戦争反対」と言うこと。何一つ特別な含意はない。それこそが「僕たちは大人になるんだ」ということなのだと思う。Awichの「琉球愛歌 Remix」を聴き、そんなことを考えた。