Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

Cocco『想い事。』書評|夢の終わり、故郷の続き

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 今年の慰霊の日、【6月23日、黙祷】と題されたCoccoのエッセイをツイッターで読んだ。1995年、バレリーナを夢見て沖縄を飛び出していった少女。文章はその回想から始まる。

 地方を捨て、東京を目指すの多くの若者がきっとそうであるように、地元への眼差しは冷たい。ちょうどそのころ建設された「平和の礎」や、大人たちから押し付けられる「ありきたりな平和への祈り」に対する視線は、軽蔑そのものだ。

 

 沖縄出身で、こういうことを書くのは勇気がいるだろうと思いつつ、とても正直な文章だと思った。ウザったい平和、ウザったい反戦ジョン・レノンの馬鹿野郎。そういうシニカルな態度こそがリアルに思えたこともあったに違いない。その意味で、Coccoは沖縄から遠く離れた場所で長い時間を過ごしたのだろう。

 だが、彼女は故郷の続きを生きようとする。新聞に寄稿された12のエッセイをまとめた本書は、彼女が故郷・沖縄と出会い直していく過程を記録したドキュメントだ。溢れ出る想いに、花々の写真が添えられている。あるいは、たなびく星条旗。基地、米軍住宅。見たい沖縄だけではなく、見たくなかった沖縄とも向き合おうという気持ちが伝わってくる。

 

 基地問題を問う【楽園】が鮮烈だ。「基地のない沖縄」を「楽園」という言葉に託し、想像する一方、「楽園」という言葉から逆光で照らされる「基地のある沖縄」の前で、Coccoは泣き崩れる。自分が楽園を夢見ることは、誰かを楽園から追い出すことなのだろうかと。そしてそれは、米国軍人と沖縄人との間に生まれた「あの人」を否定することになるのだろうかと。そうではないと言ってあげたい。自分にその資格があるのなら。

 そして、沖縄戦がもたらしたおびただしい死に圧倒される件の【6月23日、黙祷】の後を引き受けるのは、【ひめゆりの風】だ。卒業式の2日前に戦場に駆り出され、歌われることのなかった「別れの曲」をめぐって紡がれる言葉は、シンガーだからこそ書き得た畏怖の念だと思う。歌を歌うことの意味と、責任と、そうした重みをはねのける喜びと。ああこの人は根っからの歌うたいだと思った。

 

 個人的な話をすれば、私は彼女の良きリスナーにはなれなかった。だから、最後の【夢ものがたり】で、「これまでの道のりが許されたみたいだ」と書かれていることの重みを、私は知らない。せめて今の彼女の歌が、穏やかさとともにあればいいなと思う。

  

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著者:Cocco
出版社:毎日新聞社
初版刊行日:2007年8月15日