The Bookend

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【読書案内】特集『沖縄を知るための本』――海を受け取ってしまったあとに

 上間陽子さんの『海をあげる』が、2021年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞した。受賞スピーチが素晴らしいと、ツイッターのタイムラインはちょっとしたお祭りのようだった。

 

 だが、私はそのお祭りのような騒ぎに入っていけなかった。この本のように、静かで、しかし激しい、絞り出すようなスピーチを聞いていると、とてもじゃないが「おめでとうございます」という言葉が相応しいとは思えなかったのだ。

 もちろん、すべての祝意は心からの善意で表明されていたはずだ。皆、優しい。だが、『海をあげる』のレビューにも書いたが、この本が問うたのは、まさにその「優しさ」ではなかったか。その「優しさ」は、『海をあげる』に綴られたものと同じ思いを抱きながら生きる沖縄の声なき人々に対して、同じように注がれているのだろうか。

 

 ここまで来ると、はっきり言ってどうしたらいいのか分からなくなる。何を偉そうに。自分にだって、何もできやしないじゃないか。そうやって、沖縄のことを知れば知るほどに、ただ内省に沈んでいく感覚が強まっていた。

 そんな時、沖縄の施政権返還50年を特集する朝日新聞の「オピニオン」欄(2022.2.2朝刊)で、岸政彦先生のインタビューが掲載された。現在、沖縄戦の体験者、サバイバーの方々から生活史の聞き取り調査を進めている立場からの発言なのだが、「研究を続けていて、沖縄を『かわいそう』と思ったことは一度もないです」というコメントに私は衝撃を受けた。

 実際の文脈はかなり前向きなものなので、ぜひ本文を当たっていただきたいのだが、沖縄を知っていく中で、いつの間にか「かわいそうな(だけの)沖縄」という像を勝手に作り上げていないか、見抜かれたような気がした。そして、それに同情する「内省的な(だけの)自分」というポジションにいつの間にか居心地がよくなっていないか、問われているような気がした。
 「ひとりの日本人として沖縄にどう向き合うか、いくら考えても何も変わらない。その間に、辺野古に土砂を入れられてしまった。個人として勝手に内省的になっても徒労でしかない」。インタビュー記事の終盤、岸さんは優しい、内省的な日本人にこう呼びかける。「それでもやはり、できることをやるしかない」と。

 

 もし、あなたが一年前の私のように、『海をあげる』を読んで、少しでも沖縄のことを知ろうとしているのなら、これまでの、そしてこれからの自分の読書経験を切り出して、渡してあげることはできるかもしれない。その思いを頼りに、元のエントリーを大幅に再構成し、自分なりの【読書案内】という形で、ここに再公開したい。

 あなたが受け取ってしまった「海」の大きさをきっと、私も分かっているはずだから。

 

1 通史もの

 私のように、人並みの歴史知識もない人を想定して書き始めてみることにしよう。『海をあげる』を読んでまず感じるのは、なぜ、沖縄だけがこんなにも理不尽な立場に置かれているのか、ということだろう。

 こういう時、最低限の歴史知識はやはり必要だろう。一から十まで完璧に、という意気込みはいかにも空回りしそうだから、よほどの自信がない限り、価格がお手頃で、数日で読み切れる新書がおすすめだ。

 私が今日までに読んだのは3冊だが、最初の一冊を選ぶのならやはり、新崎盛暉氏の『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書)である。1945年の敗戦、そして沖縄の軍事占領に始まり、1950年代における土地の強制接収から、辺野古における強行工事まで脈々と続く「暴力」と、民衆レベルから政治レベルに至る懸命な「抵抗」の歴史を描き出す。

 『海をあげる』の中で、上間さんが一人の住民として感じる理不尽さが、歴史的で、構造的で、あまりにも非対称な権力関係から生じている事実を知る時、あなたは本書の標題に掲げられた問いにどう答えるだろうか。

 

《まずはこの一冊》

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』書評|海を受け取ってしまったあとに(1) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

2 沖縄戦 

 通史をまとめた新書を読み終えた時、どこに引っ掛かりを感じたかは人それぞれだろうが、それなりの人がまず、「沖縄戦」とは何だったのか、という疑問に至るのではないか。そこでの沖縄は、「捨て石」という言葉で形容されている。沖縄を捨てたのは誰か。日本にとって、沖縄とは何か。

 このテーマでは多くの有名作があり、それに比べてほとんど(買ってはいるものの)読み進められていないのだが、自らも沖縄戦のサバイバーである池宮城秀意氏の『戦争と沖縄』(岩波ジュニア新書)はとても静かで、迫力のある本だった。

 著者は沖縄戦の終盤を、「もはや戦争といえるものではなかった」と表現する。その悲惨さを、無用な演出をすることなく、淡々と語っている。その上で、一般の市民から見た、日本軍やアメリカ軍の姿を、圧縮された高度な言葉ではなく、一般の市民の言葉によって描く。日本の、本土の高校生は、やはり沖縄へ「平和学習」に行くべきである。

 

《まずはこの一冊》

池宮城秀意『戦争と沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(3) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

3 基地問題

 『海をあげる』が描く現在進行形の暴力は、あえて繰り返すまでもなく、沖縄に押し付けられた基地問題に由来する。普天間基地の撤去をどうするかという話が、いつの間にか辺野古新基地を沖縄が受け入れるのか、受け入れないのかという問題にすり替えられることで、強力な抵抗運動が展開すると同時に、多額の国家予算が投入される。

 辺野古の工事を強行する政府のロジックや、新型コロナの水際対策でにわかに注目を集めた日米地位協定に関してもおすすめの入門書があるが、どうにか一冊を選ぶのなら、熊本博之氏の『交差する辺野古 問いなおされる自治』を挙げたい。

 本土、沖縄、アメリカといった「大きな」主語を使って語られがちな辺野古新基地建設問題を、地元住民の立場から語り直す一冊で、基地問題にフォーカスを当てた現代史のまとめについても、これまで挙げたどの本よりも細かく丁寧。冒頭に引いた朝日新聞の岸政彦インタビューの言葉を借りれば、こういうことである。

 「いくら反対しても、政府は自らの理由で辺野古に基地を置こうとし、地元の人たちの理由は無視される。そんなとき、基地受け入れの見返りで交付金を得るといった短期的に見て合理的な選択をすることもあるでしょう。長期的にみれば基地の黙認が不合理な選択だったとしても、それが沖縄の置かれた現状です」

 

《まずはこの一冊》

熊本博之『交差する辺野古 問いなおされる自治』書評|海を受け取ってしまったあとに(9) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

4 ジェンダー/人種差別 

 これまで挙げてきた本はどれも素晴らしく、安っぽく言うなら「必携必読」である。その一方であえて指摘をするならば、ジェンダーフェミニズムの洗礼を受けた内容ではないなとも思う。

 「海兵隊員と一緒に笑い声を上げる迷彩服のへそ出しルックの沖縄人女性たち」から出発し、11人の女性とともに沖縄の戦後史を辿っていくアケミ・ジョンソン著『アメリカンビレッジの夜―基地の町・沖縄に生きる女たち』は、無自覚なままどこかで単純化された、もしくは意図的に理想化された「抵抗する沖縄」のイメージを問い直す。

 米兵による性暴力が蔓延してきた歴史の延長線上で、ある意味では「基地側」の立場で生きること。その葛藤や揺らぎに耳を傾けつつ、いわゆる「アメラジアン」の人々に対する人種差別をも直視するアプローチは、玉城デニー知事の可能性を語り直すことにもつながっている。Awichの音楽と同じだけ読まれるべき一冊だ。

 

《まずはこの一冊》

アケミ・ジョンソン『アメリカンビレッジの夜―基地の町・沖縄に生きる女たち』書評|どっちつかずの現実から目をそらさないために - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

5 生活・文化 

 冒頭の問題意識にもつながるが、もちろん、沖縄は基地問題に苦しむ「かわいそうな」だけの場所ではない。その島々の上で、人々が実際に生き、死に別れてきた以上は、そこには生活があり、文化があり、習慣がある。

 もし、こういう分類を設けるのなら、まだ決定的な一冊を読んだという気はしていないのだが、本で勉強することなのだろうかという気もして、なかなか膨らまない。何かおすすめの一冊があったら、教えていただけたら嬉しい。

 

6 沖縄の生活史

 政治的で「大きな」語りだけではなく、そこに生きる「普通の」生活者の声の中にある沖縄はどんな姿をしているのだろうか。岸政彦氏の監修で『沖縄の生活史』が進行中であるが、インタビューや当事者のエッセイまでをも含めれば、現時点でも何冊か読めるものがある。

 アメリカ留学組というエリート層の沖縄を追った山里絹子著『「米留組」と沖縄 米軍統治下のアメリカ留学』や、米軍基地内で働き、ある意味では「アメリカ側」として生きた人々の回想を集めた沖縄タイムスの『基地で働く 軍作業員の戦後』は、沖縄戦後史を何倍にも色彩豊かにしてくれる。

 また、朝の連続テレビドラマ『ちむどんどん』では描かれなかった、あるいは茶化すようにしか描かれなかった、沖縄から「上京」した人々の様々な語りを集めた『東京の沖縄人』や、最近では、藤井誠二氏の文章とジャン松元氏の写真で47通りのコミットメントを描くインタビュー集『沖縄ひとモノガタリ』のような本もある。

 あえて一冊を選ぶならば、『基地で働く』だろうか。沖縄戦のサバイバーが、自分たちの家族や同胞を殺した米軍に雇われる、ということ。そこで新たな戦争に加担することに自己嫌悪し、基地に反対しながらも、生活のために働き、処遇改善を要望していく、ということ。それでも人々は必死に労働し、必死に生活していたのだ。その複雑さと、重み。

 

《まずはこの一冊》

沖縄タイムス『基地で働く 軍作業員の戦後』書評|戦後の沖縄を生きるということ - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

7 沖縄論

 こうやって本を読み進めてくると、何かあなたの中でも「言葉」が動き出すのではないだろうか。

 沖縄の置かれている理不尽な状況について、建設されようとしている辺野古新基地について、あるいは政治的な駆け引きや、多額の交付金、あるいは、それらを構造的には温存している「本土に生きる(そして、そのために内省的になっている)私」について、あなたは語ろうと思えば語れるはずだ。

 だが、それはどこから来た言葉だろうか。その言葉には血が流れているのだろうか。「沖縄について考えること」について、あなたは、そして私は、どれほど考えただろうか。考えるだけでは、何も変わらないかもしれない。だが、考えなくて何ができるのだろうか。

 そうした思考の「ぐるぐる回り」を、さらに何周も、何周も、何周も多く周回してきたであろう、岸政彦著『はじめての沖縄』は、そこからの「次の一歩」をどうにか踏み出していく上で必携の一冊だ。大江健三郎が『沖縄ノート』に書いた「完全な葛藤」は読者の言葉を封じていくが、本書は沈黙の先にゆっくりと向かう。

 それは、沖縄と私たち本土との「境界線」を勝手に無視しないためのアラートであると同時に、「境界線」の傍らに立つためのヒントのようなものだ。

 

《まずはこの一冊》

岸政彦『はじめての沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(10) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

8 沖縄と文学

 これについては、沖縄を舞台にしていればなんでも沖縄文学と呼びうるのか、という問題意識がないわけではないが、偉そうなことを言う前に、ツイッターで交流(?)のある人たちの中に、大学で勉強したレベルで詳しそうな人が何人もいるので、少しずつおすすめを教えてもらおうなんて思ったりもしている。

 現状では、ほとんど読んでいないに等しい量であるが、目取真俊との出会いは衝撃的であった。実は、レビュー外で短編をいくつか読んだのだが、『虹の鳥』を読み終えた時、しばらく身動きが取れなかったことをよく覚えている。死者が語らぬまま、いや「語れぬ」まま持ち去ってしまった言葉を、絶望を、目取真は読者に突き付ける。

 

《まずはこの一冊》

目取真俊『虹の鳥』書評|海を受け取ってしまったあとに(11) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

9 沖縄とヒップホップ

 政治的な、あまりにも「大きな」語りだけではなく、そこに生きる「普通の」生活者の声を、ということであれば、当事者の声に耳を傾ける方法がいくつか存在する。質的社会調査を除けば、聞き書きやインタビュー、当事者のエッセイ、あるいは音楽、特にヒップホップは、現代沖縄を生きる若者たちの声を映し出しているように思う。

 インターネットを検索すれば、沖縄出身・在住ラッパーのまとめサイトがいくらでも見つかるが、これまでのところ、もっともよく聴いているのは唾奇(つばき)であり、彼の実質的なデビュー・アルバムである『道 -TAO-』は、書評ブログという枠を取っ払って、何かコメントを付けずにはいられなかった。

 レビューにも書いたが、打越正行著『ヤンキーと地元』に描かれた世界のすぐ近くに、あるいは上間陽子著『裸足で逃げる』に描かれた世界のすぐ裏側に、まだ語られていない世界があって、そこに生きる若者たちに相応しいサウンドトラックがあるとしたら、それはきっとこんな音楽だと思う。

 また、唾奇のラップが「結果的に」沖縄を表現し得ているのに対し、米軍基地や米軍機に取り囲まれて生きざるを得ない現実を真正面から取り上げ、そのテンションをサウンドに反映し、沖縄内部のミソジニーや人種差別とも向き合うAwichの『Queendom』はその力強さにおいて決定的な作品だ。

 

《まずはこの二作》

唾奇『道 -TAO-』音楽評|ラッパーと地元(沖縄篇①) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

Awich『Queendom』音楽評|ラッパーと地元(沖縄篇②) - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

10 沖縄と映画/ドラマ

 本当は沖縄の裏戦後史を描いた『沖縄やくざ戦争』を手始めに、沖縄関連の映画も何作か見てみる予定だったのだが、限られた時間の多くを、いま思えばあまりに楽観的な期待とともに朝の連続テレビドラマに捧げてしまった。ハッキリ言って、それはあまりに不毛な時間だった。

 

《不毛な時間と不毛な批判》

【復帰50年】『ちむどんどん』はこのまま、復帰前後の沖縄を無色透明に描き続けるのだろうか - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

【追記】『ちむどんどん』と沖縄戦――このドラマが描けたものと、描けなかったもの - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”

 

11 現代沖縄 

 ここに至るまでに、もしこのエントリーの意図するとおり、何冊かの本を読んでもらえたのなら、あなたは沖縄が抱える未解決の、それも現在進行形の苦しみの重さをすでに(知識としては)知っているだろう。

 確かに、沖縄はいろいろなものが背負わされた場所だ。だが同時に、あなたと同じように、この時代を懸命に生きる、見知らぬ誰かが暮らす場所でもある。それを「地元」という言葉で引き取り、階層別の質的社会調査を統合する形で出版された『地元を生きる』は、現代沖縄の断片的で、しかし重層的な記録である。

 時に「人と人のつながりが濃い」という風に、肯定的に語られる人間関係や、それに象徴される沖縄の「地元」感に対し、人々は時に距離を置きながら、時に巻き込まれながら、あるいは時に、それからも排除されながら、沖縄を生きている。

 

《まずはこの一冊》

『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』書評|排除され、分解された「ひとり」から何が見えるか - 1000字書評ブログ “Trash and No Star”