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筒井淳也・前田泰樹『社会学入門』書評|社会を知ることについて、知るためには

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 この際だから白状してしまうが、ここ最近、社会学の入門書的なものを読んだり、『質的社会調査の方法』に続き、無謀にも有斐閣のストゥディア・シリーズに手を出したりしているのは、岸政彦先生(と、勝手に呼んでいる)の著作や仕事、その方法論的な問題意識について、より深く理解したいと考えているからである。

 中でも、「質的調査」と「量的調査」の関係については、前者の方が軽く見られてそうだったり、後者の方が科学っぽく扱われてそうだったりすることもあって、部外者が見ても微妙な距離を感じるようなテーマである。しかし本来、両者は対立するものではなく、互いに補完し合うべき存在のようなのだ。

 

 本書もそういった問題意識を共有している。実際、「あとがき」にあるように、本書はある研究会がきっかけとなって企画されており、その名も「人文学・社会科学における質的研究と量的研究の連携の可能性」だったというし、共著者のお二人が、「質的」と「量的」からそれぞれ選ばれているのだから間違いない。

 共著者の一人でもある筒井の『社会を知るためには』で、「『社会学と日常生活とのつながり』を念頭において作られた」とコメントされていたとおり、本書は人のライフステージに沿って、端的には「出生」「結婚・家族」「病い・老い」「死」といった切り口で、社会学が社会をどのように記述するか/できるかを、「量的」と「質的」の両面から教えてくれる。

 

 ざくっとまとめてしまうと、「量的」な記述は、ただ生活者として日常を生きているだけでは認識できない、ある現象をめぐる国ごとの違いや、経年的な変化など、社会全体の大きな変動を記述する。それは時に、私たちの根拠のない思い込みを破壊してしまう、それくらいのインパクトを持つ。

 一方の「質的」な記述は、社会学が研究対象とする概念の実態を、あくまで実態の側から記述することで、私たちの眼差しをひっくり返してしまう。その先に、概念の定義を拡張したり、概念の理解そのものを問い直す可能性を持っている。どんなアプローチを選ぶべきかは、問われていることの性質によって必然的に決まる。

 

 などとまとめてみたが、分かったような顔でこれ以上、付け加えることは何もない。終盤にふと現れる、「社会学の少なくとも一部は、社会的不平等の問題に関心を持ち続けてい」るという記述に、「質と量の対立」に留まらない、より大きな問題意識を見た気がした。

 

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著者:筒井淳也・前田泰樹
出版社:有斐閣
初版刊行日:2017年10月30日