1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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筒井淳也『社会を知るためには』書評|「意図せざる結果」に満ちた、なんだかよくわからない社会で

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 社会学の勉強なんてしたことがないのに、それっぽい言葉をつい使いたくなってしまうのは、多くの理論が「自然言語」によって構成される社会学という学問が、「これなら自分でも語れそう」と勘違いさせてくれるからだろう。

 しかし当たり前だが、社会学者が使っている言葉をただ真似して使ってみたところで、決して社会学には(もちろん文学にも)ならない。

 本書が教えてくれるのは、ある種の「ゆるさ」を含んだ社会学が、社会をどう理解しようとするかであり、もっといえば、「社会を考えることとは一体どういうことなのか」ということである。

 

 例えば新型コロナ。感染症の専門家を中心とした有識者チームが政府に助言を行い、社会は大きな制限下に入った。第5波は去ったが、それが人流の抑制による結果なのか、飲食店の規制による結果なのか、よくわからない。誰も検証しないし、検証できない。これはどういうことなのか。

 

 それは、さまざまな領域で理論的に蓄積されたはずのさまざまな「専門知」が、ぐにゃぐにゃに絡み合い、統合され、まとまった一つの「社会」になった途端、なんだかよくわからないものになってしまう、ということだ。しかも厄介なことに、社会はそれについて「知る」ことによっても変化してしまう。

 そんな、巨大な複雑系としての社会。さらにややこしいことに、ある行為の結果は必ずしも行為者の目的とは一致しない。結果、たくさんの「AをすればBになるはず」が入り混じりつつも、実際は「AをすればBになると思ったがCになってしまった」の集合になってしまう。

 いったん、社会から降りて「修理」をしたいところだが、それはできない。私たちが、社会の一部としてすでに組み込まれてしまっているからだ。途中、紹介されるフリードリヒ・ハイエクの言うとおり、一部のエリートが合理的に考え、実行すれば社会を正せる、と思うのも幻想である。

 

 社会学のウンチクが身につくわけではないが、「社会がよく分からないことをよく分かっている」のが社会学者である、ということがよく分かる本だ。「まだ知らないこと」が、対象に関する専門知の先ではなく、「対象の側にある」と考える態度もしっくりくる。

 社会学はゆるい。しかしその「ゆるさ」は最後、「別様でもあり得た」世界線を照らしながら、肯定のニュアンスへと変わる。社会学の存在すら知らなかった高校生の頃の自分に贈ってあげたい、気付きの一冊だ。

 

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著者:筒井淳也
出版社:筑摩書房〔ちくまプリマ―新書〕
初版刊行日:2020年9月10日