日本の自殺者数は1998年になって急増し、その後15年ほど、年間3万人を超える水準が続いた。この推移について、厚生労働省は『自殺対策白書』で、「バブル崩壊による影響とする説が有力であるが、その後も変わらず高水準で自殺者数が推移してきたことについては定説はな」いとしている。
ここで共同体とか、分かったような言葉を並べて、何か大きなことを語ろうなんて思っていない。ただ、考えてしまうのである。毎日100人近い人たちが自ら命を絶ってしまう社会構造と、オウム真理教の(元)信者らが本書で語る、出家前の生活で抱いていた「しんどさ」みたいなものとは、何の関係もないのだろうかと。
入信したとき、僕にはとくに大きな個人的な問題というのはなかったんです。ただどんなにいい状態にあったとしても、なんか体の中に大きな風穴が開いているというか、心がすうすうするんです。いつもなんか満たされていない。
おそらく、こうした点については専門家による分析が種々行われたはずだし、(元)信者らのインタビューという点においても、類書はそれなりの数、存在するものと思う。本書に書き留められた8人の語りは、極めて限定的なものに過ぎない。
それでも、姉妹作『アンダーグラウンド』と合わせて読まれるべきだ。オウム真理教を「ブラック・ボックス」にし続ける限り、宮台真司の言うように、人間が起こしたテロを「突然ふって沸いた天災と同じように受けとめざるを得な」くなってしまうから。
特に印象的なのは、出家することによって答えが与えられ、もう悩まなくて済むようになる、という語りが何度か見られたことである。「自由」が、ここでは耐え難い重荷なのだ。
ここで教団を抜けると、また「自分を動かすために自分で力を持ってこなくちゃいけない」。こうした(元)信者の語りは、「これから一人ひとりをもっと強くしなくてはいけない」という河合隼雄の語りや、『アンダーグラウンド』にあった「境目を見失わないような個人の強さが必要です」という被害者の語りと、重なって見える。
それが個人の努力ではどうにもならないからこそ、「オウム的なるもの」が力を持ったのだとすると、個人の弱さが「原因」ではなく何かの「結果」であることを、より明確な形で示して欲しかった。「強くなれ」と命令される社会で、毒ガスを撒かない程度に「物語」の力を頼って生きること。そんな「弱さ」を許し合いたい。
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