音楽を「深く聴く」とは、どんなことだろうか。あるいは、音楽の「意味」とはなんだろうか。そんな大きな問いに真正面から答える代わりに、私はこの本の存在を挙げたい。短編までくまなく読んでいる、というレベルの読者ではないが、それでも言わせてもらうなら、個人的にはこれが村上春樹のベストワンだ。音楽を深く聴くとは、本書での村上春樹のように音楽を聴くことである。
タイトルだけではピンとこない、という人がいるかもしれないから、形式的なことにも触れておこう。本書は村上春樹による音楽評論集であり、作家論が十編収められている。ジャンルとしては、クラシック、ジャズ、フォーク、ロック、Jポップまで幅広い。だからこそ、さまざまな音楽家が、著者なりの体系の中できちんと整理され、歴史的空間の中で位置づけられているのがよく分かる一冊だ。
もっとも、本書は理論的な視点で書かれた音楽評論ではない。もちろん、書こうと思えばそのような類の評論も書けたのかもしれないが、だとすればここでの村上春樹は、あえてそのような文章を避けている。その理由は、本作の主題とも深く関わることなのだが、直接的に言語化しようとするとおそろしく陳腐になってしまう。
それでも一言だけ言わせてもらうなら、音楽とは、それを聴く者の人生とともにある、ということである。裏返せば、理論的に優れた音楽が、真空空間の中で客観的に優れて存在するわけではない、ということだ。私たちの、後戻りできない、決してベストではないこの人生とともにある時、音楽は初めて空気を震わせ、スイングする。そういうことを伝える本である。
やはりと言うべきか、個人的に感銘を受けたのはアメリカ文学との対置であり、フィッツジェラルドの効果的な引用とともに描かれるブライアン・ウィルソンの復活劇や、ロックもパンクも死んだ後のアメリカをレイモンド・カーヴァーとともに描くスプリングスティーン論などは、何度読み返しても、涙無くして読めるものではない。
確かに、完璧な文章など存在しないと、かつて著者は書いた。であれば、完璧な音楽評論など望むべくもない。人生だの、誠実さだの言ったところで、愛だけで音楽評論が書けるわけではないのだから。だが、愛なくして、何を書くことができるのだろうか。音楽家にも人生があり、それを受け取る私たちにも人生がある。それが交わった場所でだけ鳴る音楽がある、そんなことを思い出させてくれる一冊だ。
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著者:村上春樹
出版社:文藝春秋〔文春文庫〕
初版刊行日:2008年12月10日
※オマケ:本書をさらに楽しむための「この一曲」(ロック篇)