Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

沖縄タイムス『基地で働く 軍作業員の戦後』書評|戦後の沖縄を生きるということ

f:id:dgc1994:20220317000540j:plain

 沖縄タイムス編。米軍占領下に基地で働いていた人たちの聞き書きを83人分集めている。「はじめに」にあるように、編集意図は明確。「沖縄戦後史の空白を埋めることができるのではないか」という考えのもと、それを基地の内側から見つめ直そうというのである。

 実際、本書は基地労働者たちの語りから、「証言」や「告発」としての効果を十分に引き出している。その意義については、第6章の「シンポジウム」や「記者座談会」で語られているので、ここでは特に繰り返さない。「戦後の沖縄で米軍は何をしていたのか?」という問いに対し、沈黙によって守られてきた歴史の死角を撃っている。

 

 『沖縄戦後史』によれば、ピーク時である52年頃には、「公務員関係を除けば、雇用労働者の過半数は、米軍あるいは基地関連企業に雇われていた」というのだから、むしろこちらが歴史の「本体」と言っても良いほどだ。待遇も良かったようで、「憧れの職場だった」ということが何度も語られている。多くの人が、吸い寄せられるように職場としての基地にたどり着いている。

 もちろん、数だけの問題ではない。沖縄戦のサバイバーたちが、自分たちの家族や同胞を殺した米軍に雇われる、ということ。そしてそれを、本土の法律が及ばない世界で構造的に強要されている、ということ。そこで戦争に加担することに自己嫌悪し、基地に反対しながらも、生活のために働き、処遇改善を要望していく、ということ。『醜い日本人』の言葉を借りれば、「沖縄がかかえる矛盾のかたまりのようなところ」で、人々は必死に労働し、必死に生活していたのだ。

 

 だからこそ本書は、一面的な読み方を許さない本でもある。ある者にとって、占領者である米軍への反発は必然であり、またある者にとって、雇用主である米軍への適応は必然であった。もっと言えば、それらの矛盾する二つの必然性は、多くの人の中で自然と共存した。83人の語りは、時に大きく共振しながら、また時には互いに相容れないまま、あるいはそれぞれの語り手を二つに引き裂きながら、とにかくここに並んでいる。

 必ずしも「証言」や「告発」の枠に収まりきらない、厳しい時代を生き延びたエネルギーに圧倒されつつ、その矛盾した、引き裂かれたオーラルヒストリーに耳を傾けていると、一人一人が歴史である、という当たり前の結論に辿り着く。乱暴だがそれらを全部ひっくるめて、とにかく面白い本だなと思った。

 

******

著者:沖縄タイムス中部支社編集部
出版社:沖縄タイムス
初版刊行日:2013年11月8日