The Bookend

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』書評|不器用で、ひねくれていて、感傷的な男たち

 これは本当にハードボイルド小説なのだろうか。通しで読むのはこれで3度目になるのだが、硬派な汗臭さよりもセンチメンタリズムが勝っていて、すっかり戸惑ってしまった。

 

 もちろん、本作はハードボイルド小説の代表的作品である。私立探偵、フィリップ・マーロウが、警察官や、億万長者や、ギャングたちからさまざまな「忠告」を受けながらも、薄汚いロサンゼルスを何とか生き抜いている。

 面倒なことに首を突っ込み、気が付けばより大きなトラブルに巻き込まれている。これではとても長生きなどできないだろう。それでも、マーロウは言うのだ。「面倒を引き受けるのが私の飯のたねではないか」と。

 そうやってある種の「死」を引き受けながら生きるマーロウは、確かにかっこいい。だが、本作を動かしているのはそういったお馴染みのハードボイルド的態度ではない。

 

 第一に、本作の骨格となっているのは、ある男女のメロドラマである。戦争のせいか、時間のせいか、あるいはお金のせいなのか、何かの間違いによって永遠に損なわれ、二度と蘇ることのない、「ハードボイルド」からもっとも遠い場所にある愛の、あるいはその喪失の物語が、まずある。

 第二に、本作でのマーロウは、「母」として振る舞っている。そもそも物語は、マーロウが、テリー・レノックスという「礼儀正しい酔っぱらい」を介抱するところから始まるのだが、そこからの一連の行動は、一方的で、無条件な擁護である。それは経済的報酬や契約という、「ハードボイルド」的冷静さを超えた何かだ。

 

 ハードボイルドでありながら、そこから逸脱していくこの揺らぎは、マーロウと5000ドル紙幣との距離で表現されている。もっとも、それが最後にどうなるかは、ここでは明かさずにおこう。

 マクガフィンとなるのはある男の「遺書」であり、あるいは死者からの「手紙」であり、酩酊状態で書かれた「告白書」であり、すなわちどれもが「書かれた言葉」だ。うんざりするほど饒舌な男たちはしかし、決して本音で語り合ったりはしない。不器用で、ひねくれていて、感傷的な男たち。

 

 本作が、訳者の言うように、大きな枠で見た時に「準古典」たり得る作品かどうかは分からない。が、あまり変な箔をつけなくてもいいのではないか。あくまで気軽なパルプ・フィクションとして時間を忘れて読み耽り、ただ「面白い」とだけ言っておけば足りる、そういう意味でこそ貴重な作品だと思う。

 

******

著者:レイモンド・チャンドラー
訳者:村上春樹
出版社:早川書房〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕
初版刊行日:2010年9月15日