1000字書評ブログ “Trash and No Star”

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真藤順丈『宝島』書評|THERE'S A RIOT GOIN' ON

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 戦後の沖縄が強いられた抵抗の歴史を、ひとつの大きな精神史として語りなおすこと。戦後から施政権返還までの沖縄で経験された実際の歴史を、あえて偽物の歴史として語りなおすこと。本作で直木賞作家となった著者が、どのような思いでこの541ページに及ぶ大作を書き上げたのかは、定かでない。とにかく、読者がまず受け取るのはその熱量だ。

 「戦果」という言葉がある。「軍作業の際などに米軍物資を盗み取った行為」であり、台湾などからの密貿易と並び、「終戦直後の混乱を象徴するものであった」と、櫻澤誠は『沖縄現代史』に書いている。岸政彦の聞き取り調査においてこの違法行為は、生き延びるために必要なことであり、「当時の沖縄の人びとで、それが「悪いこと」だと思うひとはほとんどいなかったと語られた」という(『はじめての沖縄』)。

 

 たしかに、本書で再現される暴力と圧政の前で、人はあまりにも無力だ。とは言え、そこで戦果を挙げた人々を、「戦果アギヤー」としてヒロイックに描く真っ直ぐさにどこまで乗っていいものか、迷いながら読んだ自分もいた。

 少なくとも本書は、「支配層への復讐」を叶える寓話として、つまりは「富める者から盗み、貧しきものに与える」というアウトローの神話として「も」書かれている。言い換えれば、この物語は、ある種の自力救済を行使していた「たくましい沖縄」の理想化と、それゆえのノスタルジーに囲まれた場所から、語られているのである。

 

 もちろん、そこに滞留ばかりがあるわけではない。そのことは、戦果アギヤーのカリスマが、恋人や弟、親友を残したまま早々に行方不明となることからも読み取れる。あくまで象徴としての戦果アギヤーであり、残された者たちが歩むのは、英雄を待つことを止め、それぞれがそれぞれの抵抗を選び、実践するまでの道のりでもあるのだから。

 「しかし」なのか、「だからこそ」なのか、クライマックスに設定されたコザ暴動の先で、ひとつの精神史を受け取った重みを感じる一方、カウンター・カルチャーへの文化主義的なロマンが、沖縄の抵抗史を介して露呈しているようにも読めてしまい、繰り返しになるが、どこまで素直に乗っていいかは分からなかった。ヒロインであるヤマコの恣意的な理想化にも思うところはある。

 

 しかし、それでもなお、ここに込められた熱量は圧巻というほかない。まずもって、書かれたことそのものに敬意を表すべき一冊だ。  

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著者:真藤順丈
出版社:講談社
初版刊行日:2018年6月19日