Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

岩波ブックレット『沖縄の基地の間違ったうわさ』『辺野古に基地はつくれない』書評|海を受け取ってしまったあとに(5・6)

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 辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票から、2年が経った。私は、『海をあげる』に「優しいひと」として登場する元山仁士郎氏が代表を務めたイベント「2.24音楽祭」を断片的に視聴しながら、当時、ハンスト報道の周辺に吹き上がっていた猛烈な賛否の声を前に、ただ黙っていることしかできなかったことを思い出していた。

 その後、私は少しでも変われただろうか。変われたのかもしれない。しかしその一方で、私がいまだ関心を払うことのできていない、多くの問題、その只中で泣いている人たちのことを思った。沖縄を含むいろいろな社会問題がそれぞれに、「もっと自分ごととして考えて」と痛切に訴えている。当事者ではないすべての人たちに向けて。

 

 でも、すべての人がすべての問題にコミットすることは不可能なんだろう。人の人生には限りがあって、優しさは奪い合いになり、どこかで境界線が引かれてしまう。選ばれる問題は、きっとほんの僅かだ。

 私は、あなたにとってのそれが「沖縄」になればいいのにと思いながら、この記事を書いている。それくらいのことしか、今はできない。

 

 と、いうわけで、「歴史的な文脈を勉強したい気持ちもあるけど、まずは基地問題、特に辺野古の埋め立て問題について手っ取り早く知りたい」というせっかちな人におすすめできるのが、この2冊だ。

 写真左が、「まめ書房」さんが紹介していた1冊。これを手に取るまで、岩波ブックレットなるものが存在していることすら知らなかったのだが、持ってみると軽くて柔らかく、手に馴染む感じが気に入った。

 

 この『間違ったうわさ』は、沖縄基地問題の勘所を抑えた入門書。「沖縄に米軍がいないと中国や北朝鮮が攻めてくるんでしょ?」とか、「基地反対派は本土のプロ市民や日当をもらっている工作員だから、地元住民はむしろ迷惑しているんでしょ?」とか、本土で少なからず信憑性をもって流通してしまっている噂、憶測、デマの類を34個取り上げ、一問一答形式でファクトチェックしていく根気強い内容だ。

 80ページ足らずの小冊子ながら、共著者5名体制。全体的な視点は統一されながらも専門分野の異なる各人のカラーが生きており、振れ幅は意外とダイナミック。特に、海軍と海兵隊の違いも分かっていなかった筆者としては、政府が連呼する「辺野古しかない」という政治的なレトリックを、専門家の発言を引きつつ軍事的妥当性の観点から切り崩す佐藤学氏の手腕にうなった。

  

 そもそも、こういったデマや憶測、誤解はどこからやってくるのだろうか。もちろん、根本にあるのは本土の人たちの無関心だろう。戦後が前提化されすぎていて、おそらく、沖縄問題の存在そのものが認知されていない。辺野古新基地をめぐる政府の巧妙な立ち回りや、尖閣諸島問題に絡めたナショナリズムの高まりが、その隙間に食い込んでいる。用心しなければ。

 

 写真右の『つくれない』も、執念深い1冊だ。ベースとなる前半のファクトチェックを担当しているのは、元土木技術者だという北上田氏。建設工事の図面や工程表、土質調査結果の報告書などを公文書開示請求により入手し、隅から隅まで点検しているから説得力が違う。

 その上で、計画書上の工程と、実際の工程がまったく異なることや、それが正当な手順を踏まずに変更されている手続き的な落ち度を、これでもかというほど指摘してみせる。とても明示的に、具体的に。

 そして、何の因果だろうか、構想全体がひっくり返るような「ボロ」も出始めている。大浦湾海底部の活断層に加えて、ボーリング調査で明らかになった「マヨネーズのような超軟弱地盤」の存在は、調査者側としても「当初想定されていない地形・地質」と認めているという。

 それでも、動きを止めようとしない人たち。透けて見えてくるのは、机を叩き、役人たちをどつき回す東京の「偉い人たち」の姿だ。反対の声を踏み潰し、既成事実を作った上でそれを恒久化させようとする。しかしダメなものはダメだ。

 

 少し引いたことを言うと、この2冊にそれとなく漂う「運動」の空気が、肌に合わない人もいるかもしれない。そういった人を責める権利は、少なくとも私にはない。この境界線は、どのようにしたら薄くできるのだろうか。

 先に紹介した『日本にとって沖縄とは何か』を読んで興味深かったのは、日本もある時まで、米軍基地の問題を本土と沖縄でもっと切実に共有していた、ということである。しかし周知のように、本土から米軍が撤退していくなかで、沖縄だけが取り残されてしまった。

 そんな中、米軍機による超低空飛行が、新宿などの首都圏中心部でも常態化しているとして、毎日新聞が特集を組んでいる。『間違ったうわさ』を読んで知ったのだが、全国の米軍飛行場には、日米地位協定に基づき日本の法律が適用されないのだという。マジか。こうした違和感が、沖縄までつながる道になればいいなと思う。 

 

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(写真左)
編者:佐藤 学、屋良朝博
執筆者:島袋 純、星野英一、宮城康博
出版社:岩波書店岩波ブックレット
初版刊行日:2017年11月7日

 

(写真右)
著者:山城博治、北上田 毅
出版社:岩波書店岩波ブックレット
初版刊行日:2018年9月26日

高良勉『沖縄生活誌』書評|海を受け取ってしまったあとに(4)

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 沖縄愛にあふれ過ぎた「べき論」としての語りだったとしたら、重いなあ、と身構えていたのだが、心配ご無用。文体のマイルドさも相まって、読みやすい一冊だった。

 

 戦後、1949年に、沖縄南部の百名・新原海岸のムラで生まれ育った著者は、自分が見て、触れてきた沖縄を淡々と綴る。思想的には、沖縄でも主流とは言い難い「沖縄独立派」に位置する著者であるが、自身でも指摘しているように、文化的には保守的な傾向も多く、それがかえって面白い。

 旧正月にみんなで豚を「つぶす」伝統。『海をあげる』にも登場したムーチーの「鬼餅伝説」。島唄とサトウキビ刈り。不浄と浜下り。血縁共同体の象徴たる清明祭。梅雨明けとハーリー。スクガラス(アイゴの稚魚の塩辛)の紹介はちょっとした「飯テロ」だ。綱引き、エイサー。聖地巡拝。季節ごとにまとめられた沖縄は、鮮やかで奥深い。

 

 印象的なのは、やはり、基地や戦争や政治のことが必然的に登場することだ。著者の思想的な背景も影響しているのだろうが、特に、沖縄が「日本の一部へ戻る」過程でもたらされた軋轢の一面を新たに知り、考え込んでしまった。

 例えば、標準語を使うことを強制された、学校での「共通語励行運動」。規制を担保するための相互監視と方言札は『沖縄のいまガイドブック』でも語られていたが、これは教職員会が中心となった復帰運動と連動していたものだという。

 その内圧のなかで復帰を願いつつ、しかしいざ復帰する頃には、日本は帰るべき「戦争を行わない祖国」ではなくなっていた、ということは、『戦争と沖縄』にも書かれていたけれども、一方では、復帰運動に対するどこか覚めた視線を紹介していたのは、『地元を生きる』の序文だった。

 沖縄が、復帰を望んでいたことの合理性。そして、復帰を望んでいたはずの沖縄が、土壇場で復帰に反対したことの合理性。そして、それら一連の運動を遠巻きに眺める覚めた視線。この「引き裂かれた共同性」については、もっと考える時間が必要だ。

 

 さらには、労働人口を受け止めきれず、本土や南洋群島などへの出稼ぎが行われた「移民県としての沖縄」としての姿や、宮古への差別意識の問題、あるいは薩摩と琉球の間で翻弄されてきた奄美の問題にも言及されており、本書には明らかに、「沖縄の伝統的な生活を知ってもらう」こと以上の期待が込められている。

 せめて、その一部だけでも、受け取れていたらいいなと思う。 

 

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著者:高良勉
出版社:岩波書店岩波新書
初版刊行日:2005年8月19日

池宮城秀意『戦争と沖縄』書評|海を受け取ってしまったあとに(3)

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 私の通っていた高校には、沖縄への修学旅行がなかった。過去にはやっていたらしいが、ある時廃止にしたということだった。進学に向けて、沖縄で平和教育「なんか」している場合ではないと、教員たちは考えたのかもしれない。

 たしかに、もし沖縄行きがあったとしても、私がそこで何かを受け取れた保証はない。戦争は悲惨、平和は大事、そういうことを「知っているつもり」になっていただろうから。しかし、本書を読み終えて思う。沖縄には、やはり行くべきだったのだ。

 

 ジュニア新書らしくまさに修学旅行を念頭に置いたような一冊で、導入はひめゆり学徒隊の手記から。爆撃の轟音、兵隊の怒号、遺体の肉を食べるウジの音。頭部がなくなってしまった学友の手が、まだ自分の手をしっかりと握っている。戦場にいたのは、従軍看護婦として送り込まれた16、17歳の少女たちだった。

 その後も続く、引用するのもはばかられるような痛ましい記憶の数々。「すでに戦争といえるものではなかった」とさえ言われる南部戦線で紹介されるのは、防空壕に避難していた9歳の少年だ。母親が死んでしまい、食べるものがなく泣き止まない生後8カ月の弟に、息絶えた母親の乳を飲ませたという逸話は、涙なくして読めるものではない。

 

 内容としては、琉球王朝の成立から日本復帰までを通史的に学べる構成にもできたはずだが、あえてこうしたのは、先に取り上げた『沖縄のいまガイドブック』の中で「ガマショック」と呼ばれていた効果を狙ったものだろう。まずは戦場に行ってもらおう、というわけだ。

 しかし、自身も南部戦線のサバイバーである著者が綴る文章は、そこに余分なメッセージを付け加えるようなことはしない。むしろ淡々と、一定のテンポで流れていく。そうした一種の謙虚さは、一方的な情報の伝達ではなく、読む者に何かを考える時間を与えるはずだ。

 

 一般の市民から見た、日本軍やアメリカ軍の姿を、圧縮された高度な言葉ではなく、一般の市民の言葉によって描くこと。そうした態度は、薩摩による圧政の時代から、「沖縄住民が収容所から出身市町村へと右往左往している間に、アメリカ軍は沖縄のいたるところに巨大な軍事基地をつくりあげて」いた戦後の描写まで、一貫している。

 見えてくるのは、琉球が、そして沖縄が、常に外部からの暴力によって利用され、翻弄されてきた長い歴史でもある。 大人の学び直しにも薦めたい。

 

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著者:池宮城秀意(いけみやぎ・しゅうい)
出版社:岩波書店[岩波ジュニア新書]
初版刊行日:1980年7月21日
改版刊行日:2012年2月10日