
すごい本だった。ぐっと圧縮された情報量の多い文章であり、予備知識なしの挑戦はやや厳しいかもしれないが、ナチズムを知ろうとするなら、石田勇治著『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)に続けて読むべき必読の一冊である。
まず、前提が違う。著者はここで、ナチ・ドイツの歴史を手際よくまとめ、忙しい現代人にもタイパよく学んでもらおうなどとは微塵も思っていない。そう、これは激烈なる批判の書だ。「ナチスは良いこともしたのか」という疑問が割り込む隙など1ミリもない。ここにあるのは、ナチ・ドイツに対するありったけの軽蔑である。
そして、ともすれば「自分たちも被害者だ」という安全なポジションに流れがちな、戦後ドイツの国民意識にも食い下がっている。冷静な筆致でありながら、追及の手は厳しい。
比較するものでもないかもしれないが、前回紹介した『第三帝国』が、「戦争はナチズムのもっとも本質的な要素であった」と喝破するのに10章を要した一方、『Nazism and War(ナチズムと戦争)』という原題を持つ本書は、「ナチズムと戦争は切り離すことができない」という一文で始まっている。
「ナチ経済の目的は、金を儲けることではなく、戦争をすることにあった」というのも非常に分かりやすいが、ナチ・ドイツにとっては「戦争そのものが人種主義の表現であり」、「人種闘争イコール戦争だった」という指摘も痛烈である。おまけに、「ドイツは固有の領土だけでは住民を養うことができない。ゆえにもっと農地が必要だ」という考えは、第一次世界大戦をきっかけに市民層でも広く受け入れられていたという。
ヨーロッパの支配民族として、然るべき領土を東方に確保すること。
その約束の地に居座り、世界転覆を企てる劣等民族を一掃すること(そもそも、我々がいまこのような立場に甘んじているのは、奴らの裏切りのせいである)。
ドイツ国内においても、優良な血統保持者のみが生きるに値し、そこに満たない者は祖国の将来のために一掃すること。
軍備への異常な規模の先行投資は、開戦後、占領地からの略奪と労働力の搾取により回収すること。
こうしたナチのビジョンは戦争を必要としていたし、戦争でしか実現できないものだった。あるいは、戦争の騒ぎのなかでしか実行に移せないものだった。その前提でさまざまな準備が周到に進められた。
ここから明らかになるのは、少なくともナチ・ドイツにとっては、屈辱的な戦後処理を強いられた第一次世界大戦は、いつになっても、極論を言えば1945年になっても終わってはいなかった、ということである。
経済的な、あるいは農業的な膠着を打破し、ヨーロッパの国境と人種地図を根本から書き直すこと。その先に待っているのは、支配民族である我らが、格差や不平等で隔てられることのない、平等で満ち足りた世界なのだと。
それこそが、ナチの党名でもある「国民社会主義」の到達点である「民族共同体」ビジョンなわけだが、ヒトラーによるほとんど妄想的な没入と、ナチ党幹部や日和見層の狂信的な支持によって、この誇大なビジョンは文字通りの全権委任状態で実行に移された。
その異常さは、ヨーロッパ全域を相手取って第二次世界大戦を仕掛け、やがて完全なる敗戦が確定したあとにもなお、戦闘とホロコーストがおそるべき勤勉さで継続された点にもっともよく表れている。
すでに他の入門書でも確認してきたように、ナチ・ドイツにおいては、社会統治からも官僚機構からも、利害関係の調整機能は完全に失われていた。だからこそ、敗戦が確実となった戦争終盤においても、ヒトラーはますます「勝利か破滅か」という二者択一の世界に没頭していたし、それを止められる者もどこにもいなかった。ナチ・ドイツに「戦争の終了計画はなかった」し、他の選択肢を検討するためのシステムも存在しなかったのだ。
おそらく本書は、類書に比較しても圧倒的に多くの分量を割いて、第二次大戦中の軍事行動を細かく描写している。それは、ナチ・ドイツがいかに多くの戦争犯罪を働き、軍隊の指揮権をヒトラーに明け渡したことでいかに多くの軍事的な判断を誤り、いかにそれを止められなかったかに関するドキュメントである。
実際、戦争終盤のナチ・ドイツには、もはや根性論しか残っていなかった。
相手がアメリカだろうとロシアだろうと関係ない。勝てないのは気合いが足りないからだし、たとえ我らが民族が全滅し、一つの国家が消失することになろうとも、一人でも多くの「敵」をこの地上から抹殺するのだと。そこでは、狂信的な人種主義の理論(本書はこれを正しく「信仰」と呼んでいる)が、最後の最後まで厳密に運用されていた。
「ナチスは良いこともした」か? 限定された範囲をご都合主義的に切り出せば、あるいはそのようなことも言えるのかもしれない。だが、結局のところ、その受益者たちも、最後にはこうした総動員体制に組み込まれ、「国家のために全滅せよ」と言われたのだ。ヒトラーがある時点で、自決はおろか、第三帝国の完全な消失を覚悟していたからである。それ以上、議論することは何もない。
想像を絶する規模の道連れ。それによって積み上がる死。おびただしいまでの死。そこに、狂乱的なナチ党幹部の大量の自殺が加わる。完全なる、敗北。完全なる、破滅。そして完全なる終焉が、ドイツを待っていた。
『ヒトラーとナチ・ドイツ』を読み、初めてナチ党による権力掌握の過程を学んだ際、衝撃のあまり「それは国家の乗っ取りというより、『国家の破壊』と呼ぶ方がはるかに近い」と私は書いた。だいぶ強い言葉を選んだつもりであったが、本書で著者は、いささかの同情も込めずにこう書いている。
「ナチズムと戦争の残骸となったドイツ以上に破壊された社会を想像するのは難しい」。
補足として、本書の特徴を他にも何点か挙げておこう。
一つは、国民意識というか、「平均的ドイツ国民の当時の気分」のようなものに多く言及している点である。例えば、著者がナチズムの萌芽として指摘しているのは、退役将校の右派組織「鉄兜団」が振るった暴力である。
つまり、こういうことだ。第一次世界大戦後の屈辱や、その矛先としての反体制の気分は、多くの国民にも共有されていた。そこで横行した「鉄兜団」による実力行使、すなわち「暴力による国政への干渉」が、当時の社会で暗黙のうちに容認されたのである。
政治システムの不安定化と、好戦的な空気の常態化。そうした社会ではナチ党の暴力も、あるいは一線を越えたような反ユダヤ主義の粗暴さも、なし崩し的に黙認されていくだろう。気付いた時には手遅れで、ドイツの政治は「ナチの行動主義の政治」に取って代わられ、やがては「国を後ろ盾にしたならず者の政治」へと変わっていったのだ。
もちろん、それは多くの国民にとって、心からのコミットメントではなかったのだろう。「ほとんどの人々が日常のさまざまな事柄で頭がいっぱいだった」という指摘もなされている。
だが、第二次世界大戦の序盤、フランス軍を撃破した直後の凱旋で、ドイツ国民は凄まじいほどの熱狂でヒトラーを迎えている。「日和見主義」という言葉が類書で度々使われていたように、自分たちの安全と利益が保証されているあいだは何でもオッケーだったのだ。この事実を覆い隠すことは絶対にできない。
少なくとも、ソ連侵攻後に激化したユダヤ人への暴力(=ホロコースト)を黙認するだけの空気は、この時までに十分に醸成されていたと言えるだろう。著者は追及の手をいっさい緩めない。「第三帝国の人々は、ナチ政権のもっとも恐ろしい罪に気づいて(そして加担して)いた」のだ。
もう一つ、本書の特徴的な指摘に、戦後のドイツ社会における国民意識の分析がある。興味深いことに、彼らは戦後社会を「被害者」として生きたのである。
この一見不可解な「他者の合理性」を理解するためにも、第二次世界大戦の詳細な描写は意図的になされていたわけだが、つまり、ナチ・ドイツが降伏という選択肢を持たずに全滅を目指していた戦争終盤から、その後の占領期にかけて、ナチ・ドイツに対する事実上の「報復」が各地で行われていたのである。
象徴的なものが、性暴力であり、飢餓であり、戦後に行われた人種差別と特定地域からの「追放(強制移住)」である(いずれもナチ・ドイツがヨーロッパ各国にもたらしたものばかりだ)。
もともと日和見主義的な同調だったと言えばそれまでだが、こうした苦難の記憶は、ナチによる未曾有の戦争やホロコーストの記憶をあっという間に上書きしていったという。「ドイツ人の目から見れば、自分たちはナチズムの加害者ではなく、戦争の犠牲者なのだ」という意識が浸透していく。
やがて自虐史観はよくない、行き過ぎた反省はよくないというムードの高まりもあって、もうケジメはついたのだし、悪いのはナチ党の一部少数の幹部であって、むしろ正規の軍隊は「清廉潔白な国防軍」だったのだという神話が供給されていく(どこかの帝国とそっくりだ)。
戦後、確かにドイツ社会からナチズムは一掃された。実際、「ナチズムが装いを改めて復帰することもできなかったのは注目に値する」と著者は書いている。
しかしそれは、例によって例のごとく、「俺は最初からナチなんぞには共感していなかったんだ」とか、「殺されたくないから調子を合わせていただけだ」とかいった日和見主義の再現に過ぎないかもしれない。だとすればそれは、ヒトラーの独裁が帰結した「終末論的な狂信」とも背中合わせだろう。
もっとも、本書も、あるいはこの文章も、このひっくり返った被害者意識を一方的に裁く目的では書かれていない。その「凡庸さ」から何を学び、教訓としていくか。自分が自分に問えるのは、今のところそれだけだ。
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