Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽のレビューブログ。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

【映画批評】

鈴木布美子『レオス・カラックス——映画の二十一世紀へ向けて』書評|おしゃべりで孤独な映画について

それは愛についての映画であると、誰しもが思っている。愛と呼ぶほどの成熟がそこになかったとしても、それは暫定的に、やはり愛と呼ぶしかないのだと、誰しもが思っている。 だが、愛と呼ぶよりも実は破滅に近いであろうその報われない行為を指して、しかも…

蓮實重彦『映像の詩学』書評|映画批評というものがかつて存在した

誰にRTされるでもなく地道なアクセスが続き、想定外の読者に恵まれることになった、蓮實重彦『映画の神話学』に関するレビュー。 あるいはその前時代的な読み方をめぐって、映画狂の皆さんに嘲笑されていただけなのかもしれないが、個人的にはやはり、千葉雅…

蓮實重彦『映画の神話学』書評|映画とは、いわば不自由の同義語である

つまりは、こういうことだ。映画とは、小説や脚本を映像化しただけの「動く物語」などでは断じてなく、だから「ネタ」をばらす/ばらさないといったレベルで議論しうるものであるはずもなく、ただひたすらに「運動」であると。 では、この場合の「運動」とは…

千葉雅也『センスの哲学』書評|はじめにリズムありき

まず、「リズム」がある。「意味」はそのあとだ。それが、狭義の芸術鑑賞に当たっての基本だと、本書は言っている。 そして、そこで身につけたリズム感を広く応用していくことによって――言い換えるなら、人生を広義の芸術として捉えることによって、人生の楽…

廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか』書評|「一文無しの孤児」が広げたもう一つのストーリー

平置きされていたわけでもないのに、何となくタイトルと目が合った。副題に入っている『ジェイン・エア』はおろか、『赤毛のアン』も、『若草物語』も、『あしながおじさん』さえも読んだことがないのに、先日読んだ『お姫様とジェンダー』の問題意識を継ぐ…

若桑みどり『お姫様とジェンダー』書評|プリンセスをやっつけろ

娘にどう育って欲しいかなんて別にないし、日々の生活で手一杯だと思う一方、読書の中で「文化資本」などという言葉が目に入ると、やはり環境は大事なのかしらなんていう邪な気持ちが芽生えてくる。 しかし親が子どもの接する文化を検閲するのはむしろ人生を…

井上一馬『ブラック・ムービー アメリカ社会と黒人社会』書評|特集「ロング・ホット・サマー」10冊目

時代の後知恵とはいえ、本書に関しては、ジェンダー、もしくはレイシズムの観点からいくら値引きすべきかという問題がまずあるだろう。 例えば、エディ・マーフィの個性を評するのに「白人には見られない底抜けの明るさ」などという表現では個人の資質をあま…