Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

大和田俊之『アメリカ音楽史』書評|特集「ロング・ホット・サマー」8冊目

 別のタイトルを付けるなら「アメリカ音楽神話解体」だろう。副題のとおり、基本的にはミンストレル・ショウやブルースといった100年以上も前の音楽から、1970年代生まれのヒップホップまでのアメリ音楽史を一望する内容なのだが、裏テーマとしてあるのは、その歴史を、あるいは音楽の聴き方そのものを「脱神話化」することなのだから。

 それは、たった一つの「神話」によって歴史を語らない、ということであり、裏返せば、固定化された歴史を絶え間なく検証しながら、時には「別のやり方で」語り直すことだ。音楽は、ミュージシャンの素朴な「自己表現」などではない。かと言って、肌の色や階級に還元できる「本質」でもあり得ないし、社会や政治との主従関係だけで記述可能な「物語」でもない。

 

 例えば、録音技術の発展。ユダヤ人ら「新移民」の増加。農村から都市への、南から北への黒人(を含む多くの国民)の大規模な移動。音楽出版社の誕生やレコード会社の急成長。ラジオなどのメディアの移り変わり。音楽の権利化、商業化。そしてそれらの現実が音楽そのものに与える影響。

 こうしたことを踏まえつつ、時に複数の研究を紹介しながら語られるアメリ音楽史は、複雑だがよりダイナミックで、だからこそ自分の場合は、今ここに存在しているポピュラー音楽は、あくまで「たまたまこうなった」歴史の延長にあるものに過ぎないのだという気にさせられた。

 

 同時に、論文ベースなだけあって、「ある程度こうにしかならなかったのかもしれない」と思わせるような説得力もある。特に、第1章につけられた「黒と白の弁証法」というフレーズは、リロイ・ジョーンズの『ブルース・ピープル』を見事に要約するものであり、本書全体の理論的な推進力になっている。

 白人が黒人のステレオタイプを演じ、黒人がそれを演じ直したミンストレル・ショウ。白人のティーンが憧れた過激さを積極的に引き受け、内面化したようなギャングスタ・ラップ。それらの重層性を理解する上でのキーは「偽装」という概念であり、そのクライマックスがロックンロールの誕生だ。そこで初めて、エルヴィス・プレスリーが何者だったのかが分かる。

 

 こうして神話は解体されるが、それでもアメリカ音楽を聴くことの楽しさが失われないのが不思議だ。きっと知性以上に、愛を込めて書かれた本だからなのだろう(という物語化をやめろと、本書は言っているのだけれど)。

 

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著者:大和田俊之
出版社:講談社講談社選書メチエ
初版刊行日:2011年4月10日

 

【参考】本書で紹介されているいくつかの楽曲です。是非!