Trash and No Star

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本田創造『私は黒人奴隷だった』書評|特集「ロング・ホット・サマー」4冊目

 フレデリック・ダグラス。元逃亡奴隷にして、奴隷制廃止主義を貫いた活動家の扱いは、アメリカの黒人解放史を通史的に追うような本の中でも決して大きくはない。

 事実、パップ・ンディアイの『創元社本』では、「南部の白人や、無関心を決めこむ北部の白人にまで影響を与えることはできなかった」という、いささかフェアではない批評が加えられるほかは、晩年に出版された回顧録がベストセラーになったことが紹介されるにとどまる。

 中公新書の『上杉本』でも、記述はわずか2か所だ。アメリ奴隷制反対協会において「雄弁な語り部から運動に入り、指導者になった元奴隷」の活動家の一人として紹介されるだけで、あとは南北戦争の意義を「必然的に奴隷制に対する戦争になる」と予見していたことが短く引用されるに過ぎない。

 その点、本書にあふれるダグラスへの愛は桁外れである。著者は、岩波新書の『本田本』で、アメリカの歴史家の言葉を引く形で「ジェファソンやリンカーンの名前と並びおかれて然るべき」とまで述べている。

 

 そこに至るまでの道のりを出生から辿っていくのが本書だが、総じて思うのは、ダグラスは「言葉の人」だった、ということである。あるいは「批評の人」だったと言った方が正確かもしれないが。

 特に、1852年の「7月4日演説」に込められた容赦のない毒と皮肉は、単なる道徳的説得のそれではなかった。逃亡奴隷法が全米を揺さぶった、1850年代というもっとも緊張した時代に、独立記念日は「あなた方のものであって、私のものではありません」と、白人が大半だった聴衆に向かって断言したのだから。

 

 おそらくは祖母譲りなのだろう、神様の視点から見れば誰が正しく、誰が間違っているかは裁判をするまでもなく自明、という超越した感覚。それが憲法の知識や、「生まれてはじめて、自分が本当に人間なのだということを、しみじみと実感」できたというイギリス生活の経験などと融合しながら、ダグラスを運命の分岐点へと導いていく。

 そして南北戦争の最中、ダグラスはその磨き上げた言葉の力を、リンカーンを痛烈に批判し、また全力で励ますために用いた。その成果とまでは単純には言えないだろうが、しかし一貫して真実を語り続けたダグラスに応えるかのように、南部に対する最後通牒だった奴隷解放予備宣言は、1863年の1月1日、大統領の署名を得て奴隷解放宣言として正式に公布されるのだった。

 

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著者:本田創造
出版社:岩波書店[岩波ジュニア新書]
初版刊行日:1987年8月20日