どこで東浩紀とはぐれてしまったのだろう、と思い返しながら読んでいたら、答えが書いてあった。『福島第一原発観光地化計画』だ。
夢から醒めたように、私はその本を買わなかった。表紙の過剰なポップさに馴染めなかったのだ。この10年を振り返った本書の中でも、そこで「まじめな読者が離れた」と回想されている。
商業的にも挫折し、完全に立ち往生してしまったというが、背景には本の内容以前の問題があったと明かされる。
創設メンバーによる資金の使い込み、 意思決定層の総務・雑務への無関心、それによる放漫経営、資金難、ハイリスクな一発逆転思考、スタッフのケツ割り等々。著者の立ち上げた会社=ゲンロンが見舞われた困難の数々だ。
失敗の理由、それは「社会を変えることの身体性」が理解できていなかった、ということに要約できるだろう。
どんな崇高なプロジェクトであれ、末端では誰かがエクセルやテプラを使ってクソみたいな事務仕事をしなければならない。そこには経営陣の熱さとは全く無関係の秩序がある。それはそれで、普通に回ることで全体がやっと回る。著者にはそれがわからなかった。
著者は結局、「ぼくのかんがえたさいきょうのゲンロン」を実現したかったのだ。それが社会を変えることの近道だと信じていた。
しかし、絶望した著者の隣に最後まで残ってくれたのは、ひとりでも生きていけるであろう「アカデミア時代の教え子」と、単発案件でたまたま出会ったに過ぎない「ロシア映画の字幕をやっている人」だった。第5章で描かれる、「誤配」による救済は祝福のようでもあり、感動を誘う。
啓蒙、という言葉が最後の方に出てくる。ずいぶんクラシックな言葉だが、本書の総括にぴったりな言葉だと思った。筆者なりの理解で要約すれば、東浩紀は、この10年でインディペンデントな「啓蒙活動家」となったのだから。
見たいものしか見ようとしない人々の「見たいもの」そのものをどう変形させ、ハッシュタグを打ち込む時間の代わりに「考える時間」をどのように確保していくか。選んだ道は地味だが、失敗によって鍛えられた確信は深い。
いまの私は、ゲンロンとはすぐには交わらないかもしれない。だが、自分が誰かから受け取った誤配を大切に生きていくことそのものが、著者へのエールになればいいなと、本書を読んで思った。今すぐには変わらないが、いつかは変わっているかもしれないこの世界のために。
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