これもまた、青い海や青い空が眠った後の沖縄についての本だ。ちょうど、上間陽子の『裸足で逃げる』がそうだったように。改造されたバイクのテールランプだけが、男たちの行く先を照らしている。
著者にとって社会とは、人間である。社会は、人に「生きられて」初めて社会になる。ならば、「生きられている現場にいないと」何も分からないじゃないかと。『ヤンキーと地元』はそう言っている気がする。
だから著者は、数万人を曖昧にイメージするよりは、たとえ数人であろうと、人間を丸ごと描くことを目指す。 本書は10年越しの、沖縄の暴走族/元暴走族たちを対象とした参与観察の成果である。調査は愛と根性によって行われている。
と同時に、こうした調査の場合、彼らに何かを象徴させようといった、著者の「作家性」のようなものが少しでも出てしまえばそれまでだという気がする。だから、著者はまず「見るだけの5年」を自らに課す。
飛び交うジャーゴン、徹底的に描かれる現場のディテール。理論的な問題意識は共著『地元を生きる』の序文(岸政彦)に詳しいように思うが、本書の魅力は何よりもまずこのエネルギーだ。思わずのめり込み、男たちの困難を追体験している自分がいた。
では、著者が見たヤンキーたちの「地元」とは、何だったか。 見えてくるのは、転移する暴力だ。
「これ逃げたら、地元にいられなくなるから。」
セクキャバ経営者、洋介は、地元の先輩からの「呼び出し」を、そのように表現する。オンもオフもなく維持される「しーじゃ(先輩)」と「うっとぅ(後輩)」の人間関係。それは「暴力」という物質的な基礎を持っている。それが下へ下へと転移していく。
そんな世界に生きる彼らにとっての暴走とは、「抵抗」や「逸脱」ではなく、青い沖縄から切り離された世界の「晴れ舞台」だった。だからこそ、その先に待つ未来を、どこか諦めながら受け取っているようにも思える。
数人、数十人で社会を語ることは、「本当は」できないのかもしれない。しかし、その数人を抜きにした社会は存在しない。私や、あなたがそうであるように。この社会で確かに生きる「彼ら」と「私たち」の距離を一気に縮める、そんな一冊だ。
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著者:打越正行
出版社:筑摩書房
初版刊行日:2019年3月25日