The Bookend

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

岸政彦・齋藤直子『にがにが日記』日記|家族の最期を看取るということ

10月23日(月)

 『にがにが日記』の見本が出来上がったらしく、Twitterに写真が出回っている。本としての佇まい、めっちゃいい感じじゃないですか・・・。買うかどうか迷っていたが、それを見て購入を決意。『断片的なものの社会学』に並ぶベスト佇まいかも。

11月12日(日)

 なかなか本屋に行く時間が取れず、『にがにが日記』を本日ようやく購入。本当はいつも応援している本屋で買いたかったけれど、たまたま隙間時間に寄った店に一冊だけ在庫があったのでそのまま確保。写真も良かったけれど、現物はもっといい。まずもって手で持った感じがめちゃくちゃ好きだ。

 で、さっそく数多の積読を押しのけて第1章まで読んでみたところ、とにかく京セラのカメラが欲しくなって、吉野家でビールを飲みたくなる本だなと。吉野家で飲んだことない。あとは人との待ち合わせで遅刻されたり、遅刻したり、今度は逆に早く来られすぎたり。「いま、自分は他人の日記を読んでいる」感じがすごい。あとはとにかく岸先生が原稿に追われていて、とにかく「缶詰」で、こちらもううううとなる本です。

11月13日(月)

 ケラケラと笑いながら読んでいるのを不審に思った妻が、「なにがそんなに面白いの?」と訊くので、「あのな、岸先生、お世話になった先生の偲ぶ会に『平服で』ってあったけど、俺も大人だしってグレーの平服で行ったらみんな喪服だったんだって」と教えてあげたら、「ハハッ」と笑っていた。岸先生の本がたくさんあるので、うちでは「岸先生」で通じる。もしくは「岸さん」。

11月16日(木)

 相変わらず空き時間に熱心に読んでいるのがよほど珍しかったのか(普段読んでいる本は、内容がハードだったりするのでまとまった時間を取って集中しないと読めない)、改めて『にがにが日記』の概要を説明したところ、妻が「要するにブログを紙に印刷して本になったのをわざわざ買って読んでるってこと?」と言うので「そうだよ」と答えた。

 別にそのやり取りにもやもやしたわけではなく、単純に本の中で岸先生の飲みっぷりを読んでいたらなんだか自分の人生に飲みが足りない気がして、ビールを一缶開けた。本当は週末に取っておいた頂き物のマスターズドリームだったんだけど。風邪気味でいつものビールとの違いが分からなかった。

 本の中での日付がパンデミック期に突入したけど、その手の話題はあまり出てこない。なるほど、「コロナ」という言葉をあえて使わないようにしているのだな、と思ってそのまま読んでいたら、普通に「コロナ」が出てきた。自分はいつも深読みをし過ぎる。

11月17日(金)

 Twitterに「『にがにが日記』を読んでいたら飲みが足りない気がしてビール1缶開けた。」とツイートしたところ、岸先生がリツイートしてくれたのだけど、岸先生以外からのいいねもリツイートもない。岸先生のタイムラインではなく、誰もいないTwitterの真空地帯に飛ばされたようだ。しょうもないつぶやきで申し訳ない。でも、Twitterって昔はそういう場所だったよな、などと負け惜しみのように思うがそれはつぶやかなかった。(※後日、ようやくいいねが一個だけ増える)

 それはそうと、先ほど読んだ箇所に、「いま東京に住んでるひとって、どうやって東京に来て、どうやって暮らしているんだろう。そしてこれからも東京で生きていくんだとうか」という一文があり、自分の中の何かに触れた。『東京の生活史』の書評で、「これは地方の生活史でもある」と書いたのはそういう意味だったので、岸先生の『東京の生活史』に対するモチベーションも意外とこういう素朴なところだったのかもしれないな、と思った。

11月18日(土)

 リクエストに従って『にがにが日記』の面白かったところをリビングで読み上げていたら、「あんた大阪の人みたいになってるで。なに、そのイントネーション」と妻に言われた。

 自分にも大阪人の友だちがいて、その人と会ったり話したりしたあとは数日間、イントネーションがそっちに傾くという現象はこれまでもあったのだけど、本を読んでいるうちになんとなくそれが思い出されたのかもしれない。

 本当のことを言うと、『大阪の生活史』のプロジェクトにその友だちの聞き取りで応募をしたかった。というか、心の中では勝手に企画とかイメトレとかまでしていたのに、結果的には全く行動に移せなかった。自分が忙しくて時間を捻出できないというのもあったし、すっかり連絡も途絶えさせてしまったので、インタビューを受けてくれるかどうかの自信もなかった。インタビュー以前に、普通に交流を復活させたいというのが今の願い。人生はにがいのだ。本当だなあ。

 まあ、それはそれとして、後半の書き下ろし「おはぎ日記」に突入した。なるほど、はっきりとそういう言葉が使われているわけではないけど、このふたりはおはぎを「介護」しているのだな、と思って読み進めていると、普通に「介護」という言葉が出てきた。自分はいつも深読みをし過ぎる。ふと、2022/11ってすごく最近だなと思って妙にドキリとした。

11月19日(日)

 自分の中の大阪ムードが高まっていたので、『大阪』を買ってきた。ちょっと前にウェブ公開されている岸先生の「はじめに」を読んで、先に柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』を買っていたのだけど、そっちもまだ読めていない。単純に、読みたい本が多すぎる。

 こういう時に使われる「読めてない」という言葉が、我ながら微妙すぎるなと思う。読まなくちゃいけないわけではないのに、なにか義務を果たせていない感じを積極的に出そうとしている。映画が好きな人も「まだ観れてない」とか言うし、音楽が好きな人もたぶん「まだ聞けてない」とか言うんだろう。こういうの、やめたいなと思う。

 まあ、それはそれとして、『にがにが日記』の手に持った感じとかがほんとうに良くて、これ何かを思い出させるなと思ったら、そうか新潮クレスト・ブックスだと思い至る。試しに岸先生が裏表紙の推薦コメント(というもはや短評)を寄せているソナーリ・デラニヤガラの『波』と比べてみると確信に変わりTwitterに書き込むも、相変わらず岸先生以外からの反応がほとんど皆無。検索しても「にがにが日記 新潮クレスト」の検索結果はありません、だって。ホントかいな。と思ってペラペラ見比べていると、表紙と裏表紙をめくったところにある紙(なんて呼ぶんだこれ?)が、表紙の写真と合わせたのか、ちょうど黄色と赤色になっていることを発見した。そして、どちらも二枚ずつだ。(※後日、新潮社の公式TwitterがRTしてくれた)

 ちなみに、妻に読んで聞かせたのは「最後の朝帰り」の話です。「たしかに、もう思い出せないことばかりだね」と言っていた。それで話がちょっと盛り上がって、「岸先生、岸先生」と言ってたら子どもが「パパが子どもの時の先生?」と訊くから「会ったことはないけど先生は先生なんやで」と教えてあげたらまったく何も分かりませんという顔をしていた。

11月20日(月)

 ものすごく眠い。が、少しでも本を読んでから寝たいという思いがある。一日のうちにほんの少しでも、誰の役にも立たなくていい時間、というか、ただ自分の意志だけによってコントロールされている時間が必要。これ、介護とか育児といったケア労働に共通のものかもしれないけど、気が付くと「自分」がどこにもいないときが多々ある。

 そういう時、日記の本ってありがたいなと思う。その時どういうテンションで、どういう疲れ具合であろうと、たいてい読める。赤裸々に日常が綴られているのに、その中には悲しいこともあるのに、それも誰かの人生であって、全体とすると面白いなと思える。ちょうど、先ほど読み終わったのだけれど、自分は『にがにが日記』を面白いと思いながら読んでいたと思う。この本は、これまでいろいろな人の人生を紹介してきた岸先生が、逆に自身の人生を開示する試みなんだなとようやく気付いた。

 自分は犬も猫も飼ったことがないけど、おはぎがいなくなってしまった世界で、おさい先生がふとスーパーの花屋で花を買い占めてくるところでボロボロに泣いた。「買い占めたったわ」だって。家族を看取るって、こういうことなんだなと思った。誰かを愛するということは、こういうことなんだなと思った。『にがにが日記』、おすすめです。

 

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著者:岸政彦
イラスト:齋藤直子
出版社:新潮社
初版刊行日:2023年10月30日