Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

2021-01-01から1年間の記事一覧

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』書評|海を受け取ってしまったあとに(1)

タイトルのとおり、ここには大きな問いかけがある。私は、正直に言って、本書を読み終えた今でもなお、この問いにハッキリと答えられる自信はない。知識というより、資格という点で。厳しい本だが、受け取れるものは多い。 著者はここで、戦後の70年、1945年…

【特集】シリーズ:『沖縄の本』――海を受け取ってしまったあとに

ある朝、朝刊の見出しに「辺野古 土砂投入2年」とあった。添えられた青い写真に思わず見入る。それは確かに、私の海だった。『海をあげる』と、上間陽子さんから渡された私の海だった。 記事を読んでいくと、「米軍普天間飛行場の危険性が継続するばかりか…

ジョージ・オーウェル『葉蘭を窓辺に飾れ』書評|詩人ごっこはこれでおしまい

これからジョージ・オーウェルを読もうとするときに、『一九八四年』でも『動物農場』でもなく本書から入る人はそれほど多くはないと思うが、私はそういう出会い方をした。ある雑誌の中で、ラッパー、ECDが紹介していたのを見つけたのである。 紹介、とい…

ECD『他人の始まり 因果の終わり』書評|命日に寄せて

人生は一回で、後戻りできない。その残酷さ。そして、その横を淡々と流れていく「時間」のさらなる残酷さ、そのようなものが感じられる。文章そのものが、止まることのない「時間」みたいだ。とにかく寂しい本だった。 ラッパー、ECD。 3年前の今日、亡…

『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』書評|排除され、分解された「ひとり」から何が見えるか

「癒しの沖縄」といったラベリングや、「助け合う沖縄」「抵抗する沖縄」といった理想化を回避し、沖縄が、そこに暮らす人々にとって「さまざまであること」を描くこと。内地と沖縄を隔てる境界線を境界線と認めつつ、内地の人間として、境界線の「向こう側…

植本一子『働けECD わたしの育児混沌記』書評|「たまにはひとりになりたい自分」を認めたあとに

今からこの本を読もうとするとき、私たちはすでに二つの結末を知っている。つまり、2011年3月11日に何が起きるのかを。そして、この本で妻に「石田さん」と呼ばれている男が、やがて娘たちの成長を見届けられなくなってしまうことを。 しかしそのことは、本…

望月優大『ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実』書評|移民大国の古くて新しい不都合

「お父さん、ブラジルどこ?」――富田克也監督、映画『サウダーヂ』の印象深い一場面だ。あるいは、「日本人は多文化共生に耐えられない」と書いて炎上した上野千鶴子のコメント「平等に貧しくなろう」でもよい。私が見逃してきた「きっかけ」たちである。 気…

打越正行『ヤンキーと地元』書評|「癒しの沖縄」から切り離された世界で

これもまた、青い海や青い空が眠った後の沖縄についての本だ。ちょうど、上間陽子の『裸足で逃げる』がそうだったように。改造されたバイクのテールランプだけが、男たちの行く先を照らしている。 著者にとって社会とは、人間である。社会は、人に「生きられ…