Trash and No Star

本、時々映画、まれに音楽。沖縄、フェミニズム、アメリカ黒人史などを中心に。

雨宮まみ『女子をこじらせて』書評|人生が底をつくまで

 ここまで正直に、自分を開くことができるものなのか。著者は、もしかしたら読者に笑ってもらうつもりで書いたのかもしれないが、全然そうした気持ちにはなれなかった。むしろ、とても悲しい本だと思った。著者がすでに故人だから、というわけではないと思う。一冊の本を書くために、自分をここまで正直に「開かざるを得なかった」著者のしんどさが、語り下ろしのようなタッチの行間から突き刺さってくるからだ。

 あとがきには「デトックス効果もあり」なんて軽めのことが書いてあるが、著者の「女」という属性との向き合い方が決まった「暗黒のスクールライフ」中学校編に始まり、それが高校編、大学編と滅入るほど続いたあと、ショック療法的なバニーガール時代があり、転機となった投稿エロ雑誌の編集時代があり、最初の到達点であるAVライター時代があるわけだが、どれも平坦ではない。

 やがて著者言うところの「こじれ」を脱し、少なくともそれを対象化しながらうまく付き合っていけるこの「私」になるまでの全記録である本書には、解毒どころか、血が滴るような切実さが満ちている。

 

 少しだけ流行った「こじらせ女子」という言葉(本書ではややゆらぎがあって、「こじらせ系」とか「こじらせガール」とも呼ばれている)の着火点となった本書だが、文字どおり一冊の本を必要とした著者の「こじれ」具合を短い言葉で言い表すのは難しい。少なくとも、世間で流通しているイメージよりもだいぶ込み入った状態だということは確かだ。

 著者は、外見のコンプレックスによって「男たち」の欲望や「女」というカテゴリーから疎外されている(と自分では思っている)。もちろん、その埋め合わせとしての「サブカルどっぷり」であれば、わざわざ「こじれ」と呼ぶほどのものでもないだろう。それは全国に蔓延しており、30歳になれば自然と治る風邪のようなものだ。

 しかしややこしいことに、著者はサブカル消費による自己表現などでは埋まらないほど強力で実際的な性欲をいささか持て余しており、異性愛者であるからにはその解消には男からの承認が必要ということで、自分に与えられた「女」という属性の前で決定的にねじれてしまっているのだ。

 

 それでも、華やかな港区OLにはなれないし、かと言ってサブカル・エリートにもなれない。「女」の仲間入りをさせてもらえなかったけど、やっぱり「女」としても認められたい。そんな引き裂かれた思いの中で、著者は「表現としてのエロ」、「サブカルとしてのAV」というこれまた袋小路にしか思えない場所へと着地する。

 実際、それは袋小路だった。自分では性別の壁を越えた、自分の人格や人生を賭けたチャレンジだと思っていたのに、結局のところ、彼女を待っていたのは「女だから」とか「女のくせに」の壁でしかなかったのだから。上野千鶴子の言うように、「どれほどあなたがこだわりたくなくても、社会の方があなたの性別にこだわってくる」のだ。

 だが、当時の著者にはそのことが分からなかった。とてもじゃないが、そんな余裕はなかった。そんな言葉が何度も繰り返されているように、ただ自意識にこんがらがったサブカル女子として、それ以外には選択のしようもなかったのだ。自分の人生は、選んでいるのか、選ばされているのか。いつしか著者は、自分を落ち着かせる場所を失ってしまう。

 

 これはやや意外だったが、思春期の著者が心から共感を示した数少ないミュージシャンの一人に、小沢健二がいた。だが、小沢の歌った「祈り」のようなものは、学区内で一番の進学校に「黒いランドセル」で通い、岡崎京子澁澤龍彦を読む「ありふれた」はみ出し方をしていた著者にとっては、あまりにも純粋で、あまりにも儚いものだったのかもしれない。

 それでも、彼女のことを救い得る言葉は、世の中にすでにごまんとあったはずだ。しかしそのどれもが彼女には届かなかった。それは所詮、一般論なのだ。人生、時には回り道も、なんて言うけれど、著者の場合は一度「底」をつかないとダメだったのだと思う。その実直さがどうしたって泣ける。

 

 やがて、著者は焦げ付いた自分の半生を振り返って、「自縄自縛」というキーワードにたどり着く。「人に認めてもらえない」状態をあまりにも先取りして内面化しておきながら、「人に認めてもらうこと」、いや「人に認めさせること」が彼女の存在証明でもあったわけだが、結局のところ、「自分は本当に人に認めてもらえていなかったのだろうか」という根本的な疑問とかち合うのだ。

 どれだけ先回りして、頭の中で一人反省会のようなものを延々と開催したところで、思考の渦でぐるぐるしているだけでは何も起きないし、何も変わらない。著者の人生にとって、この気づきが遅かったのかどうかは分からない。だが、ようやく人生が動き出したことへの安堵がやっぱり泣ける。私はまたしても、どうしてこの人はここまで自分を正直に開くことができるのか、と驚くのだ。

 

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著者:雨宮まみ
出版社:ポット出版
初版刊行日:2011年12月5日